泥のように沈澱する意識が、とぐろを巻く渦の中心へと穏やかに、流れてゆく。
──これは、"眠り"なのだろうか。
夢に落ちる寸前の優しくも重たい幸福は、この身と化してから久しく感じていない。
代わりに在るのは、深く、暗い、巨大な渦。
その中央へと、鬱々とした意識が少しずつ、緩やかに、引き摺り込まれて、
その先にあるのは安寧か、或いは、
「──…おい」
閉じた双眸の裏、意識の闇に射した眩さに、半ば強制的な覚醒を迎える。
光源は、眼前にあった。
「…あぁ…おはよう」
「……、…」
起床の挨拶はお気に召さなかったらしい。
純白の被毛を纏う耳が、僅かに伏せられている。
不機嫌な其処へと指先を伸ばせば、反射的にふるりと震える。必然と弾かれる指先。
慣れ親しんだ静かな抵抗に、分かっているのなら少しくらい甘えさせてくれてもいいのにと、柔な吐息を漏らした。
「俺の前で呑気に眠れると思うな」
「うん、…ありがとう」
淡々と紡がれた言の葉に、毒はなく。
伸ばした両の腕へと収まってくれたのは数秒。身動ぎ、瞼を伏せて、白い喉を晒したかのように見えたのは、一瞬。
尾が勢いよく振られると共に、するりと腕から抜け出ていく温度。
彼は長椅子へと凭れ、此方への興味を失したように、中断していた読書を再開する。
己を繋ぎ止める眩耀。
時に幽光のように仄かに揺らめき、果てに待つ真なる眠りへと誘うそれは、浄化ではなく、確かな標であった。