自分の名前の中にある、とある一文字のことが、ずっと好きではなかった。いや、かなり、きらいだった。
その一文字が無くても音が成立している名前をつけられるはずだったのに、寺か何かでその名前では画数の縁起が良くないだのどうだのと言われたのを聞き入れて後から付け加えられた文字だそうで、その理由も相まって嫌だった。
せめて他の字にしてくれればよかったのに。そもそも無くていいじゃないか。お前が名前の中に居るくらいなら縁起が悪い方がまだマシとすら思う。本来自分につけられるはずではないものだった、"自分のもの"ではないという異物感が強く、その上別に見た目が綺麗だとか、意味が美しいとかいう訳でもない字なので気に入るポイントも見出せず、自分の名前にその字があることをどうにも受け容れられないままぎくしゃくした距離感で共に生きてきた。そんな勝手にしんどかった人生に転機が訪れる。大人になってから魅力を知って好きになった推しの名前の中に、同じ字があるということがきっかけとなって、その字のことを許せるようになり、今では、愛着を持てるまでになったのだ。まだその字のことを"自分のもの"として完全に受け容れられているわけではないけど、まあでも、共に生きていく仲間として、悪い奴ではないし、うん、可愛いところもあるよな、みたいな感じで、自分なりに大事にはしていけそうな心持ちでいる。文字に起こすとすごくあっさりして簡単に見えるけど、この意識の変化は私の中では本当に革命だった。
無限とも言える程の夥しい数の漢字の中で、名前に使われる漢字が限られるとはいえそれでも自分で選んで決めたわけではない"名前"というものに同じ漢字が含まれるとなるととんでもない確率だと思うのだ。自分に与えられた名前のたった数文字と、推しが持つ名前のたった数文字の中に、同じ文字が存在する。自分が名前を書く時に書いているその字を、推しもまた自分の名前を書く時に書いている。その事実が持つパワーは凄まじい。
たったそれだけ、と言えば本当にそれまでのことだけど、たったそれだけのことに、私のこれまでは救われ、私のこれからは報われていく。
文字に起こすと不思議なくらいあまりにもあっけない、(他者からしたらたったそれだけの)コンプレックスと、(他者からしたらたったそれだけの)解放の、一匙の砂糖ほどの革命の話。