最推し誕生日が終わって、ふぅと一息つきながらも、去年からやってる続き物の原稿をチマチマ進めてる。
ちょっと疲れとか、気を張っていた反動で多少はある。だけど、何処か切り替えられなくてフワフワしていた時に、毎週月曜日に発信される占いを見て、ちょっと「う~ん」ってなってしまった。
そっから、フワフワしていたものがグラグラして、何かしっくりこない感じがして……それが余計にイラつきにもなり、やる気が逃亡しかける。だけど、やってる。推しの力で。毎日やらんと鈍るし。
で、なんで占いを見て、ぐらついたかと言うと「やらなきゃいけない事に対して、更に頑張りすぎない」って言われ、んん??ってなったのよ。今、やってる事は義務でもないし、一生懸命になりすぎてる感じではない。第三者から見たら、そう見えるのかもしれないが、私自身は特には、って感じ。
「休憩」の文字に、モヤっとしたのは、もしかしたら図星だったからかもしれない。けど、やる気になったのに、やる気を削がれるような事を言われた気がしてムカムカしていたのかもしれないなって気づいた。
あれだよ、宿題を折角やる気になったのに親から「やりなさい!」って言われた時の、何とも言い様のないモヤモヤ感。余計に、やる気が失せるわって感じの気持ち。
それに気づいて、止まってた小説を章の頭から読み直しして、続きを書けるようにしている最中。挿し絵などの絵の方が遅れてる感はあるからチマチマ直してるが、本文を進めないと描けない挿し絵も出てきたから、文章を進めようかなって。
noteのさ、装丁の記事を見て思うんだが、字書きさんが絵師さんに表紙などを依頼して描いてもらう、あれ。
若干、モヤモヤするのよね。どっちも一応出来るから……自分がしてもらえなかったから羨ましいのもある。それに、信用出来る絵師さんが自ジャンルにいないのよ。悲しい事に。いないなら、自分でやるしない、そんな岐路に立たされて今までやってきて、描いてもらえる字書きさんの恵まれてる環境にモヤモヤしてる。
やれないより、やっていた方がいい。でも、第三者に認めてもらってるみたいで少し羨ましい。自分が考えていた妄想ピッタリの表紙や絵柄が、自分以外の人に描いてもらうって、凄く嬉しいからさ……
私は、それを数年前に止めざるを得なかった。悔しい。
ネタやアイデアを吐き出せば、それを横から何食わぬ顔でかっさらう人たちもいるおかげで、すっかり自分の妄想をアウトプットする事がなくなった。自分の中に溜め込むしかなくなり、それでも語りたくてメモ帳に書き記してる。人に何かを伝える事が下手になってきてるし、怖くなっているのかもしれない。それでも、それだからこそ書けるモノもあるんじゃないかなって、自分の文章と向き合ってる。
ちょっとずつでいいんだよ。
周りが口出しする事じゃないから、黙ってて見守っていて欲しい。
占いはあくまでも道標だから、心酔しきっても辛い。飲み込み過ぎて、うっ……てなるから、ほどほどでいいのかな。