9月18日の日記

aokiminori
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6年ぶりの再会をした今日。当時たったひと学年しか変わらないのに、走れど走れど追いつけず、雲の上の存在だった人。どれだけ努力をしても、ずっと背中を見ることしかできなかった人。今日、私たちは初めて、ちゃんと机を挟んで話をした。盛り上がりすぎてあっという間に6時間が過ぎた。流石に喉がイガイガしている。6時間がほんの一瞬。あっという間に感じた。

机に座っていなければならない時間以外のすべてを、「速く走るため」に費やしていた私たち。属していたのは体育会系ど真ん中、「強豪」と形容される集団だった。もし、あの頃に今日のようにフラットに話せていたら、どんなにやり易く、学年もチームも良くなっただろう。考えても「たられば」でしかない。けれど6年の月日が流れていても、1通のメッセージを送ることすら憚られるほどに、あの頃に作られた目に見えない高い壁や硬い縛りから、私たちが未だに解き放たれていなかったこと。その事実を再認識させられた。

性別と年齢で分けられ、その間に横たわる果てしない隔たりは、作為的なものだった。そんな隔たりなんて、「ひょいっと超えてしまえ!」と今では思う。けれど渦中にいた誰もが超えることができなかったし、越えようともしなかった。というより超えることを許される空気ではなく、越えようもんなら望まない結末が待ち構えていることは明らかであった。

部員は100人以上。もしかしたら、すごく波長の合う人がいたかもしれない。でも話しかけることすら出来なかった3年間。「なんて勿体無い!」と思ってしまう容易なことが、当人たちには最も難しかった。偶然乗った電車で再会し、今日という日が生まれた。もしあの日にあの電車にあのドアから乗らなかったら、今日の6時間は存在し得なかった。前日にちょうど友人と「巡り合わせの時期が来てるのかもね。」という話をしたばかり。こういうのが「巡り合わせ」なのだろうか。

偶然か必然か——この「巡り合わせ」には感謝しかない。

たとえ暗黙のルールがなかったとしても、あの頃の私の実力では、ただただ背中を追いかけることで精一杯だった。どれだけ追いつこうと必死になっても、どんどん背中は小さくなった。挑むことすら怖くなり、後ろに隠れてしまう時もあった。

けれど、私たちは今日という日に恵まれた。これからは背中じゃなく、横顔を見て走れそうな気がした。なんてスカした台詞をぼやきたくなるほどご機嫌に、自転車を漕いで帰った。えっちらおっちら、いつもは弱音を吐きながら登る急な坂道も、なんだかいつもより緩やかで——

今日はマスクを着けて寝よう。ああ、なんて心地いい疲れ。

@aokiminori
2000年生まれ。デザインをしたり、動画を編集したり、文章を書いたり。