最近変な天気が多い。人間の欲望のまま、生産と破壊を繰り返してきたツケであろう。年々その季節らしくない季節が増えているような気がする。2024年の2月には春みたいに暖かな日があったかと思えば、3月後半には凍えるような雨の日が続いている。天気の安定とクローゼットの美しさは比例するようで、ここ最近のクローゼットは天候に合わせて荒れ気味だ。
ただでさえ服の最適解を見定めるのに毎朝苦労する3月だというのに、急な寒さや雨への対応も求められている。室内でちょうどいい服装でも外に出ると寒すぎたり、はたまた歩いていると汗をかいてしまったりと本当に難しい。あれやこれやと迷っているうちに、選考を通過できなかった服たちが積み上がる。
クローゼットだけでなく、部屋の状態から生活習慣までもが、心的安定と直結している。「ちょい置き」された服たちがきちんと定位置に戻るかどうか、部屋が整頓された状態で保たれるかどうか、栄養バランスの取れた食生活が送れるかどうか。全ては私の精神状態にかかっている。心の状態と生活は密接に関わっているゆえ、余裕がない時は部屋が荒れる。食生活も自ずとおざなりになり、腸や肌の調子もイマイチになってしまう悪循環。因果関係があるとしか言いようがない。自覚はあれど、2月3月は変な天気が続いた上、切羽詰まる予定が続いていたことも相まって私の部屋は最上級に散らかった。
ある日、いつものスーパーの野菜売り場を歩いていた時のこと。ふと、普段はスルーしてしまう「ごぼう」に手が伸びた。なんせ調理に手間がかかるごぼう。土を洗いながして笹がきにし、水につけておかなくてはならない。たったそれだけであるが、心に余裕がない時はこの工程ですら手間に感じる。「今日はごぼうで何か作ろうか」という考えが浮かんだその日、久しく食べていないごぼうの炊き込みご飯が無性に食べたくなった。
買い物袋に収まりきらず、かごから半分以上飛び出ている。帰り道、びよんびよんとごぼうを揺らして自転車を走らせながら、私にとってごぼうは「生活のバロメーター」かもしれない、と思った。心に余裕があるかどうかの指標。手間のかかる食材を調理しよう、という気が起きたとき、しばらくの間自分の心に余裕がなかったことに気づかされた。
随分と久しいごぼうの炊き込みご飯はとても美味しくて、あっという間に3合が消え去った。お腹も心も満たされたが、効果はそれだけではなかった。なんとなく断捨離がしたい気分になってきて、荒れ散らかっていたクローゼットも部屋も、すんなり元に戻っていった。面白い。夜更かしをする気も起きないし、お風呂に入ることも腰が軽くなった。私の場合、心に余裕が十分にあるかどうかを測るのに、「ごぼうを調理しようと思うか」はかなり有効な指標であったのである。
自分の状態を客観的に図れる指標をいくつか持っておくと便利だなあと思う。常に一定の良い状態が保てることが一番だけど、実際はそうもいかない。だって人間だもの。状態がそこそこ良い時の自分の生活の癖をいくつか把握しておくことは、ぐるぐる下降する渦の中へと入り込んでしまいそうな時、自分の力でマクロの視点を取り戻す一つの方法となり得るかもしれない。「自分の機嫌は自分で取れる人」という言葉が流行っているような今日。自分の状態を自分で把握して、自分で前もって手を打てる人。私にとってその指標の一つが「手間のかかる料理に意欲的になれるか」であり、そしてそれが「ごぼう」であった、という話。