某所で「呪術廻戦」に関する意見交換を眺めていて、これは分かり合えないやつ…と高みの見物を決め込んでいたのですが、いろんな見方をする方がいるんだなーと考え込んでしまったので吐露。前提として個人の解釈ですし、私は呪術の専門的な知識は持ち合わせておりません。あと呪術は非科学と捉えています。
私は「呪術廻戦」に関しては「完全にフィクションでファンタジーな作品」として読んでいるので、根拠だの何だのは一切気にしていません。ただ野薔薇の能力見て「丑の刻参りのやつー!」とか、知っている知識と合致した時の気持ちよさは確かにある(丑の刻参りを推奨するものでは無いです)。なので、由来があることで楽しみ方が増えるという意味では、実在する呪術の情報を調べてある程度取り入れる方が効果的に感じます。マストだとは思わないけど。
で、「呪術」そのものについては私は「魔法」に近い非科学のラインだという認識です。占いまで入れるかどうかはちょっと微妙なところだけど、「陰陽道」とかは呪術寄りの仲間かなーと何となく思います(専門的な知識は持ち合わせておりません)。
難しいのは、「呪術」や「魔法」はその効果が科学的に証明されているものではないけど、確かに存在していた(あるいは、している)文化なんですよね。例えば、実際に魔法を使っていたかどうかは別として、魔法使いと称される人は存在していたし様々な書物にも記録されています。呪術に関しても同様、何なら現在進行形で受け継がれている文化でもあるし、魔法より再現性があるので真似しようと思えば出来るものが多い。そうすると、ファンタジーではあるけど実在する文化なんだからちゃんと調べて作品に取り込んだ方が熱意やリスペクトを感じられるのはご尤もです。なので「呪術廻戦」にはそれが足りない、という批判については否定できません。
ただ、その上で事実に即していない作品全般を否定するかのような表現をされると、フィクションを楽しむ身としては言い過ぎじゃないかなとは感じます。それだと世の中のファンタジーほとんど全部アウトじゃん? と。人によって「呪術」はファンタジーではなく論理が存在する現実だからこそ気になる部分も多いのだとは思いますが…(科学的な話ではなく、呪術の手法等には独自の解釈による論理があるという意味です)。
あと呪術って失敗すると自分の身を滅ぼしたり跳ね返りがヤバい系が多いから(繰り返しますが科学的な根拠はありません)、「呪術廻戦」を読んだ人が軽率に「本物の呪術」に手を出すことに対して危惧を抱くのも分かります。でもそれは「殺人描写のあるマンガを読んで真似されたら困る」というのと同様の話であって、作者に責任が発生するものではありません。だから作品に関して「正確ではない呪術を載せることで真似する人へのリスクが高まる」と不安を覚えるのはともかく、それ以上の責任を負わせるのは違うよねと思います。
現実で「呪術」を身近に置いている方ほど繊細に反応する作品だと思いますし、フィクションの創作物に対して批判するのは自由ですが、声高に攻撃するような姿勢は(呪術廻戦に限らず)不要な軋轢を生んで歩み寄りの余地が無くなってくるのだなあとモヤりました。
私はいろんな解釈がある方が楽しいし抑圧すべきではないと思うので、細かいこたあいいんだよの姿勢でこれからもいろんな作品を楽しんでいきたいな。