茶道というコミュニケーションツール

aono
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初対面の人と話す時の鉄板話題として、6年間茶道をやっていた話をよくする。

期間は小2〜中2までで、中学生になってからはほとんど通ってなかったので実質4年ほどだが、それでも市のお茶会に数回出たりと意外と本格的にやっていた。

幼少から茶道の習い事をやっていたいうと、「育ち良いねー」と言われるが別にそんなことはなく、ただ母方の祖母のプール友達がたまたま茶道の先生で、一度体験してみた時の茶菓子がやけに美味かったからそのまま続けてみたという、なんとも陳腐なきっかけである。祖母の友達だったから受講料もまけてもらっていた。

4年続けた割にはもうお手前などは覚えていないが、思い返してみると茶道を学んでいて役に立った場面は意外と多いなーと感じる。

初対面の人との一話題として使えるのはもちろん、外国の方と交流した時に「This is traditional Japanese culture!」とかなんとか言いながら抹茶を振る舞ったらウケたし、謎に友達の親御さんに抹茶を振る舞ったこともある。父方の祖母が実は過去茶道の先生をやっていて、正月に父方の祖父母の実家へ帰省すると自分が人数分の抹茶を点てるイベントが発生したりもした。やってる時はこんなことが何かの役に立つとは思わずに純粋にお茶菓子うめーくらいのテンションでやっていたが、何事にも無駄なことはないんだなと振り返って思う。

今やほとんど記憶がない茶道の稽古だが、唯一記憶に残っていることがある。それは建水という茶道具を運んでいた時に先生に言われた「重い物ほど軽く運見えるように運びなさい」と言われたことだ。

建水はお手前中に茶碗を洗った水などを捨てる容器で、最後に運ぶ時には割と水が入っていて重い。また、基本ずっと正座なのでお手前の終盤になると足もしびれる。そんな状態でも、客をもてなす主人として、客に対して疲れているそぶりや、いっぱいいっぱいになっているそぶりを見せてはいけないということだったんだろうなと思う。

多分先生は何の気なしに言ったと思うが、自分の心の中にはやけに強く印象に残っていて、それ以来何かのリーダーになった時にも、極力表では元気に明るく振る舞うということを意識するようになったと思う。

こう書いてみると、茶道をやっていて良かったことがたくさんあった。今もたまに自分で抹茶を点てて飲んだりもするし、意外と人生の中で一部分を担ってくれている良い習い事だったなと思う。ありがとう茶道の先生。