最近は忙しくて、なかなか休みが取れない。正確には、休めるけど心配で休めないというべきだろうか。自分がどこまで取り組めばよいのかが分からないのだ。
もう2週間くらい休みをとっていないような気がする。休みたいけど、作業をしていないと心配で落ち着かない。そんな自分をどうしようかと考えていたとき、2つの言葉を思い出した。
まず一つ目は、作業が終わっていないのに休むのが甘えなのではなく、決めた時間を過ぎても作業が終わっていないからといって続けてしまうことこそが甘えだ、という言葉だ。正確には覚えていないし、出典も覚えていないけど、こんなニュアンスだった気がする。
休日もしっかり取れていないのであれば、本来はない時間をむりやり作って、その時間に甘えているのだろう。この言葉は休むことを正当化させてくれて、だいぶ自分を落ち着かせてくれるが、「甘えてでもいいから作業をしたい、そうでなきゃ心配だ」という自分もいる。
そんなときに思い出したのが、二つ目の言葉だ。
「心配になるのは、それまで努力してきたからだ。」
これは高校の先生にテスト前に言われた言葉だ。しっかり勉強をしている人ほど、テストが心配になる。それは当然のことなのだ。
今の自分も、ずっと休まずに、地道に頑張り続けているだろう。作業中は成果が出てないように見えても、俯瞰してみれば意外と成果が出ていたな、と感じることもある。「もっと成果を出さなきゃ、もっと自分にできることはないだろうか」と思ってもしまうが、それはこれまで努力してきて、そこから生まれた心配な気持ちによるものだろう。
こんなに心配になるのは、ちゃんと成果が出ているからだろう。
今の自分はうまくその成果が見えなくても、誰かから見たらきっと成果は出ているのだろう。
この2つの言葉を思い出した今日の8時以降は、いったん作業を止めて、休んでみようという気持ちになれた。
まとめると、心配してしまうのは自分がしっかりやってきたからであり、そういうときは大抵成果が出ているものだから、時間に甘えるのはやめよう、ということだ。
ただ、どうしても時間に甘えないといけないときがあるはずだ。自分が全くやっていなくて焦っているとき。テストで例えればノー勉だ。そのときの気持ちは、心配ではなく焦りだろう。
焦りと心配は、どちらも不安な気持ちだ。どちらの気持ちも似ている。だからこそ、自分の不安がどちらに分類されるのかをしっかり見極めて、甘えが許されるのかを見極めなければならない。
今の自分は焦りではない。心配だ。どこまでやったら分からず、成果が出ているか心配しているのだ。焦りは時間があれば解決するだろうが、今の自分の気持ちは時間がいくらあっても解決しないだろう。
ならば休もう。そんなわけで、いまこの記事を書いている。interfmのHERE COMES THE MOONを聴きながら。日曜日の夜に落ち着く番組だ。聴き始めたのは最近だが、本当にこの番組がやっていてよかった。