「いいなー」って「いいですね✨」のつもりで言っちゃうけど、けっこう微妙な反応が返ってきちゃうことが多い。うらやましがって聞こえるのかも。
°C-uteの鈴木愛理ちゃんが以前、「(アイドルは)結局人からの評価だから」って言っていたことが強く印象に残っている。だから自分がこんなに努力した!って思っていてもそこは関係なくて、見てるファンやスタッフさんとか周りの人が評価してくれないと意味ない、みたいな文脈だったと思う。うろ覚えなんだけど。
コミュニケーションにも同じ側面があるなと思っている。自分がいくらあれはこう思ってた、そんなつもりで言ったんじゃない、って考えていたとしても、受け取る相手がそう思ってくれなきゃ意味ないというか…。自分がどう思って発言したかよりも、相手にどう受け取られたかで評価(?)されるみたいな。コミュニケーションは相互のやり取りなので、愛理の言ってたこととはまたちょっと違うかも知れないけど。
だから、これからは「いいですね〜!」って言ってみようかな。自分の思ってる温度がちゃんと声に乗って、相手に伝わるといいな。
あとこれは最近創作をしはじめてから意識するようになったことだけど、ことばは発したその瞬間から自分の手を離れる。どう受け取るかは相手次第で、だからこそ「こうとしか読まないで」って言うことはほぼ不可能で、「こう受け取ってほしい」があるならそれがまっすぐ伝わるように工夫が必要だな、と思いはじめた。
何年か前までは、こういう齟齬があったとき「そんなつもりで言ってないのに、なんでそんな風に受け取るの!?ひどいひどい悲しい悲しい」ってなりがちだったので、わりと考え方が変化しているのかもしれない。これってやっぱり認知の歪みの問題なのかな。この捉え方を続けてると、周りはもちろんだけど自分もすごく疲れるんだよね。だから、完全にできてるとは言い難いけど、少しずつ受け止め方を変えていけたらいいな、と現時点では思っている。
もしかしたらこういうのを大人になっちまった、悲しい、変わっちまったよお前…と捉える人もいるかもしれないけど、しなくて済む摩擦は減らした方が結果もっと大事なことに力を使えるから、それもありかもって最近は思うようになった。
佐藤多佳子さんの「一瞬の風になれ」という小説がとても好きなんだけど、その中に、問題児でやる気なさそうに見えたり、生意気な口きいてよく怒られてる部員に対して「お利口にしといた方が余計なエネルギー使わないぜ」みたいなこと言うくだりがある。(これもうろ覚えでニュアンスだけど…)
それって自分を捨てろってことなのかな、って昔は思ってたけど、いまは確かにそうだなって思ったりもする。受け止めるというか受け流すかな?
とにかく、いいなと思ったものやことに対してちゃんと「いいね🌸」の気持ちが伝わるようにことばを使えたらいいな🌸