天気が悪いせいなのか、何も起きてないのに不安。急に心臓がドッドッてなってやばい!焦りが来た!と思ってさらに焦る。だいじょうぶ、だいじょうぶって祈りのように何回も唱える。でもどきどきしているときはどうにかなってしまうんじゃないかって思って叫び出したくなるような衝動にかられる。特に仕事が忙しいわけでもないのにな。
自分に変化がないことがこわい。そこに焦っているというところはあるかもしれない。
だけど今日ふと、わたしは特に好きでも得意でもないことを仕事にしてて、それでもちゃんとお金もらって働けてるのけっこうすごいことかもと思った。別にとくべつなものがなくてもわたしちゃんと生きていけるんだ。悲しいことかもしれないけど希望でもあるかもしれない。とくべつじゃないありふれた仕事で世界に参加できている。
よく考えたら仕事って知らないこと教わったり覚えたりしてだんだん出来るようになっていって、それでお金もらえるのってすごい。ふしぎ。しかも社会に関わることもできる。すごすぎ。こう考えると仕事ってありがたいのかも。仕事めんどうだな、やだなって思うときもそりゃあるけど、働きたくないって気持ちにはあんまりならないのはそれが理由かも。わたしの場合、仕事やめちゃったらほんとうに社会や人との関わりが絶たれると思う。あと、休日好きだけど連休とかになるとひたすら床やベッドに転がってるだけで終わってなにも出来なくなるから、平日の方がまだまともというか自分を律してられる。その点でいうと働いてる自分の方がまあいいのかなとか思ったりもする。
年上の人が仕事いやだとか働きたくないって言ってると、あー働くのって大変なんだ。つらいんだ。って思ってしまうからわたしはせめて、年下の人たちには働くのそんなに悪いことじゃないよって言いたい。わたしが影響受けやすいだけかもだけど、悲観してる人ばっかりだとなかなか下の世代って希望待てなくない?でもそんなのかなしいじゃん。
わたしは児童文学というかいわゆるジュブナイルとかが大人になってもずっと好きで、それって多分未来のために書かれてるからだと思うんだよね。次世代の子が希望を持てるようにするのが大人の役目だよってわたしは本から教わった気がする。だからせめて、自分の発言で希望を奪ってしまうようなことはしたくないなって思ってる。まあ仕事大好き!とか働くの楽しいよ!とかは言えないんだけど。それはそれで嘘になっちゃうから。
べつに立派な仕事じゃないし立派な人間でもないけど、今のところフツーの仕事してフツーに生きてゆけてる。それだけで十分なのかもね。そういうドラマティックなことではないけど淡々と着実に一日を終えることが生活ってことなのかもしれない。自己受容なのかもしれない。ささいなよろこびが散りばめられてる日々だってそんなに悪くないよ。たぶん。