今日は朝起きてから民法の不法行為法のところと刑法各論を勉強できた。金融の本と「思想」の続きも少し読めた。書くことがない。それなりに学びを得たのだけど、午後に昼寝したら全て忘れた。そして天候が悪くなるのに比例して体調も悪くなる。雷の音は苦手だし、瞬間的な停電にも見舞われるし、なんとなくついていない。昼頃には一度鬱屈とした気分にも襲われた。孤独かも。勉強したことについて書くのも良いのだけど、もっと自分のこととかについても話したいかも。でもそういうことをあまり人と共有したことがないので、どうやれば良いかわからない。不安も大きい。とりあえず、ボカコレで見つけてからちょくちょく聴いている曲を貼っておく。kafumiさんの「かみさま」。カゼヒキってかなり好きかも。「〜たんでしょ」の言い方が良い。
岩波『思想』所収の森川輝一「現代政治思想における資本主義批判の精神史的位置」を読んだ。ロールズの反メリトクラシーは対日戦争での従軍経験にも根ざしているらしい。戦場で親友が死んだ一方でロールズが生き残ったのはただの偶然であって、故に「人は自分自身の実績など一切認めてはならない」。それとアーレントは今まで少し苦手だったんだけど、もっと苦手になってしまったかもしれない。以下引用。
アーレントに従うなら、革命以前のアメリカには、生き生きと活動する政治的市民たちの交わり(…)が素朴な形で実在していたのであり、(…)ヨーロッパの市民社会が、人種帝国主義という野蛮な犯罪に手を染め(…)たのに対し、アメリカではそのようなことは起こらなかったということになる。実際アーレントは、リトルロック事件を扱って物議を醸したエッセイの冒頭付近で、次のように言う——「世界政治における有色人種の差別という問題は、ヨーロッパ諸国の植民地主義と帝国主義という、アメリカが決して手を染めることのなかった(America was never involved)巨大な犯罪の所産なのである」(…)
それ[アメリカの人種差別]は確かにあり、かつ許されざる犯罪なのであるが、あくまで合衆国南部特有の歴史に根ざした局所的な犯罪なのであって、非道な植民地主義支配の過程で数多の虐殺を引き起こし、やがてヨーロッパに還流してナチの人種イデオロギーに合流することになった、十九世紀の人種帝国主義という地球大な犯罪とは全く関係がない、と主張する(…)
現地住民に対する迫害や殺戮が横行した前者[ヨーロッパの帝国主義的「膨張」]とは異なり、後者[北米やオセアニアへの英国系住民の「植民」]においては、平和裡に「新大陸」への「移住」が行われたかのように語るのである