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2026/9/24:日記

Aqu4
·
公開:2026/9/24

大江健三郎「新しい人よ眼ざめよ」は『「雨の木」』、『同時代ゲーム』、『個人的な問題』、『ヒロシマノート』と、大江自身の作品が多く登場した。どれも気になるし、特に後者3つはすでに持っているので早く読みたいが、また大学が始まって忙しくなることを思うと、おそらく来年以降になりそうだ。特に連作『新しい人よ眼ざめよ』と同じく連作『「雨の木」を聴く女たち』の関係性についてが気になる。両作は比較対象して読まれるべきものという感じもする。ひとまず、後者が「雨の木(レイン・ツリー)」というフィクショナルなメタファーを提示するものであるのに対して、前者はイーヨーという現実的な人間を提示するものとして整理できそう。

それと「新しい人よ眼ざめよ」の以下の箇所が印象的だった。デイヴィッド・ルイスの可能世界論や量子力学の多世界解釈に通じるところがある。こういう、世界の中でどのような出来事が生じているのかという形而下的なことを超えた、世界そのものがどのようにして成り立っているのかという形而上的な思弁が私は好きだ。これは大江によれば『同時代ゲーム』の核心をなすイメージであるらしいので、ますます同作が気になる。あとはそれをより分かりやすく翻案したとされる『M/Tと森のフシギの物語』も気になる。

「銀河系宇宙に加えて、ありとあらゆる宇宙すべてを一望のもとに見わたすなら、空間✖️時間のユニットとして世界はほとんど無限にあり、いま自分らが唯一無二と信じているこの世界の進みゆきは、それと似てわずかにことなるヴァリエーションともども、じつは空間✖️時間のユニットの総体のなかに、いくらでも見出せるのではないか? つまりは任意なかたちの歴史の進みゆきを、ゲームのようにして神のごときものが選びとり、それをわれわれのこの世界に提示しているにすぎず、われわれはゲームの仕組みの一要素にすぎないのかも知れぬ」(『大江健三郎自選短篇』岩波文庫、p. 601)。

そして『大江健三郎自選短篇』は一旦ここで中断。東京に帰るまでには読みきれなかった。実家の大江健三郎コーナーに置いておくつもりなので、続きを読むのは年末年始か春休みになりそうだ。初期短篇と中期短篇を読んだ感想としては、分かりやすく面白い初期と比べて、中期は私小説風になっていてより難解だという、ありきたりなものになる。特に私小説についてはまだあまり多くを読んでいないので、いまいちどのように読めばいいのかよくわからずにいる。


今日は百貨店の北海道展に行った。ジェラート、チョコレートドリンク、お弁当を買って食べた。どれも美味しかった。夕方は散歩をした。夕闇に染まっていく街は綺麗で、夜風は涼しくて心地よかった。

私は道徳というものを恐れている。それは道徳に対して取りうる態度としては最もせせこましく惨めで恥ずべきものではないか、と、ふと思った。


また読書メモを書いた。

@aqu4
「僕みたいな麗しい者は、生きていると感慨に耽ることがままある。そういった現実で得られる経験こそ、素晴らしい劇中歌にとっては欠かせないものなのさ。」