今日はあんまり調子が出なかった。法律の勉強はできずじまい。日曜日だから仕方ないということにしておく。金融の本を少し読んだ。債権価格や株価の決定については少しわかってきた。だけど金融政策に関してはまだまだ。というかマクロ経済って変数が多すぎて結局どうなっているのかわからない。それと昨日買った『思想』所収の論考もいくつか読んだ。資本主義の多様性とか福祉レジームとか、政治学における資本主義論というのがあるのだけど、ここら辺の話ってあんまり知られていない気がする。経済学者、主流派にせよマルクス派にせよ、から見たらどのくらい妥当性のある議論なのだろう。そしてやっぱり「資本主義」とか「民主主義」とかいう言葉でみんなが何を指しているのかがいまいちピンとこないでいる。民主主義の方はダールとかの定義が参照点としてあるけど、資本主義に関しては本当に何のことなのかずっとわからずにいる。ぼんやりと現在の経済システムを批判的に指す言葉として使われているという印象。宇野重規が、民主主義の論争史は「民主主義」という言葉でおのおの違う何かを指して論じてきた歴史なのかもしれません、みたいなこと言ってたけど、資本主義についても同じなのでは。あとプシェヴォルスキが、おおよそほとんどの政治システムについてまわる困難をことさら民主主義に固有の困難であるかのように語るのは慎まなければならない、みたいなことを言っていたのだけど、これも。
ついでに、藤田菜々子「資本主義の変容と新しい『福祉国家の合意』の可能性」で引用されていたミラノヴィッチの言葉が示唆的だったので、それをここに書いておく。「福祉国家の国民主義的限界」について。『資本主義だけ残った』より。
福祉国家とは、国内の資本と労働の衝突を超越する手段の一つである市民権という発想に明確に基づいている。だから国家が分配する社会移転を受けるために、市民権が必須の基準になったのもごく当然のことだ。したがって、国民国家と福祉国家と市民権は解きがたく結びつくようになった。……とはいえ現代のグローバリゼーション時代には、福祉国家、市民権に付随するものへのアクセス、そして労働の自由な移動の間に明らかな衝突が起きている
……福祉国家を減らすことも解体することも無理であるならば——そんなことをすれば富裕国の市民や労働者が成し遂げた社会的進歩をあらかた消し去ることになり政治的な抵抗に遭うだろう——結局のところ、移民の経済的権利を削減する提案に行き着くことになる。
原神はスカークの伝説任務をやっていた。スカークのことが知れて嬉しい。結構好きかも。次の言葉が印象に残った。
「踊り流れる水よ、砂が君の詩と仕草を求めている。足にまとわりつく砂を、君は運んであげるつもりか」……私は軽やかな水ではなく、お前も物言わぬ砂ではない。だが、それがお前の望みだというのなら、共に最後まで歩もう。
原神は過去とどう向き合うかみたいな話が多いんだけど、これが一つの答えなのかも知れない。正直ストーリーとか設定とかあまり理解できてないし、そんなに熱心に追うつもりもないのだけど、たまに良いことを言うので良い。