「私は、生活の楽しさの上を素通りして、不幸をつかまえて、それを食って生きているつむじ曲がりの陰気な精神は大嫌いである。そういうのは、すべすべした平坦な場所にとまることができずに、ごつごつした凹凸のある場所にとまって休む蝿や悪い血だけを求めて吸う蛭みたいなものである。」(『エセー』ワイド版岩波文庫、p. 110)
以上はモンテーニュの言葉であるが、私のようなウジウジとした精神性の人間に対してあまりにも辛辣で手厳しい言葉で、もはや清々しさまで感じてしまう。その後、続けて語られる次のような言葉は是非とも肝に銘じておきたい。
「私の行為や性格のもっとも悪いものでも、あえてこれを白状しないことにくらべれば、それほど醜いとも卑怯だとも思わない。」(p. 110)「自分の不徳を人前で言うためには、その不徳を見きわめ、研究しなければならない。それを他人に隠す人々は普通、自分にも隠している。」(p. 110-111)
今日も引き続き英作文の勉強をしていた。ところで今テキストとしているのは『和文英訳教本』という受験用参考書である。私はあまり英作文の比重の大きくない大学を受けたので、受験期には使用していなかったのだが、それでも有名な参考書として名前は聞き及んでおり、それでこのたび英作文を勉強するにあたってとりあえずはこれをやってみようと思い立った次第である。受験用ではあるが、英作文についてかなり応用の効くポイント、特に時制や助動詞、準動詞等の解説が厚く、これ1冊だけでもなかなか書けるようになってきているという感触がある。これ以外の本で現在のところ気になっているものだと、これまた受験参考書のようだが『富田の英作文』というものと、こっちは一般書のようだが『英文ライティングのメタモルフォーゼ』というものが挙げられる。前者は、「パターン丸暗記に頼らず、一から書く画期的指南書」という売り文句がついており、というのも受験英語の世界では「英作文は英借文」などという”金言”がまかり通っているのだが、そう言われた通りに受験期に百数十の例文を暗記したのにいま英作文がまるっきり苦手であるということを鑑みると、少なくとも記憶力があまりよろしくない私にとっては、この金言はあまり当てにならず、「一から書く」スタイルの方が性に合っているような気がするのである。後者の本は、とあるアメリカ人教授のエッセイを通して英作文のポイントを学ぶというなかなかレベルの高そうな本なのだが、そこで指摘されている「読めるのに書けない」という症状がこれまた今の私にぴったり当てはまるものであって、読むことを通して書く力をつけることができるのであれば、これは日々の多読の勉強にも精がつくというものであるから少し期待している。
今日は新しい眼鏡ができたので眼鏡屋まで取りに行った。正直なところあまり違いが感じられない。でも気分転換にはなるし、前の眼鏡はレンズに傷がついていてそれが鬱陶しくもあったので、まあ悪くはない。夜は豚の角煮と炒り豆腐を作った。どちらも美味しくできた。
樋口陽一『憲法』を少し読んだ。比較憲法的見地から書かれながらも、政治哲学や法哲学の内容にも踏み込んだ解説で面白い。節々に力強く大胆な分析が光り、名著とされ現代でも版を重ねているのも納得。以下ではいま私が持っている当書の前持ち主も線を引いて強調している重要箇所を引用しよう。
日本国憲法は、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有すること」を「確認」している(前文二項)。(…)
[この「確認」は、]人権発展史の流れを、「恐怖から免かれる」権利=自由権、「欠乏から免かれる」権利=社会権から「平和のうちに生存する権利」への展開として受け止め、先行して実定化された自由と生存への権利も、平和が確保されてこそ初めて享受されるものとなることを、明らかにしたと読み取ることができる。自由権が19世紀の立憲主義によって実定化され、社会権が20世紀に入って多かれ少なかれその跡を追ったとすれば、日本国憲法が平和的生存権の理念を掲げたことは、いわば21世紀的人権の先取りとしての法思想史上の意味を持つ。