今日は本を買いに出かけることにした。昨日が雨だったからか比較的涼しくて過ごしやすい気温。そうはいっても日向にずっといるとじんわりと汗が出てくる。日陰を歩く。家の近くに中くらいのサイズのスーパーがあるんだけど、それをもう少し行ったところにデカめのスーパーがある。そっちも使っていきたいけど、いつも近くの方で済ませてしまう。ということで今日はそのでかスーパーの方を少しだけ見回ってみた。全体的にこっちの方が充実している。そのまま電車に乗って本屋に行った。歩いているうちになんとなく不安が込み上げてきた。やっぱり家に引きこもっているのが一番落ち着くし、外に出ていると理由のない不安が時におそう。でもそれは本当に理由のないことだから、慣れるまで外に出て、別に何もないということを脳に覚えさせる必要があるのだろう。それで本屋で本を見ていると落ち着いてきた。涼しい。やはり本屋は現代のオアシス。買い終えた頃には少しウキウキとしていた。特に岩波『思想』の「資本主義と民主主義」は、資本主義も民主主義も何もわからない、と最近思っていて気になっていたので少し高いけど入手できて嬉しい。

法と経済学の本を読み終えた。環境問題について。その社会的費用に当たる税負担を企業に課すのがピグー税なわけだけど、その税率を算定するためには需要曲線、供給曲線、社会的限界費用曲線がわからないと駄目で、それらの情報を政府が得るのはほとんど非現実的、というのがコースの批判。他方で、コースの代替案である当事者間の交渉による契約も、環境問題の規模がデカくなればやはり途方もない取引コストがかかる。そこでピグー税のアイデアを生かしながらコースによる批判にも応えつつ改良する試みが行われており、その代表例がいわゆる排出枠取引というやつ。でもこれにもいくつか問題がある。なるほど。それと金融についてももう少し知りたくて簡単な文庫本を読んでいる。「10時間でわかる」というやつ。わかりやすくてサクサクと読める。でももう少し広い理解というか立体的な理解のためにはやはりマクロ経済を勉強した方が良さそう。
杉本さんの『なぜ道徳的であるべきか』を立ち読みしたけど、これはかなり良さそう。私の考えたいことについて倫理学上の議論がよくまとまっている。ただし高い。実践理性の二元性について、著者はその調和が可能であるとしているけど、ここはもっと慎重に判断すべきに思う。道徳あるいは利他主義について考えるためには、そもそも利己主義とは何か、っていうところを詰める必要があるんじゃないかということをぼんやり考えた。以下メモ。
利己主義と言っても次の二つは区別されなければならない。純粋利己主義と相対的利己主義。仮にAとBの二人がいるとする。この時、Aが、自分はAの利益を追い求めるべきだし、BもAの利益を追い求めるべきだ、と考えたらAは純粋利己主義者ということになる。他方で、Aが、自分はAの利益を追い求めるべきだが、BはBの利益を追い求めるべきだ、と考えるならば、これは相対的利己主義。以上からわかるように、Aの純粋利己主義とBの純粋利己主義とは相容れない。他方で相対的利己主義者同士は同居が可能である。つまり、純粋利己主義とは違って、相対的利己主義はカント的な意味で普遍化可能である。となるとカント的な普遍化可能性だけでは、相対的利己主義と、利他主義(道徳)とどっちを選ぶべきかは決定できない。でも純粋利己主義に関しては拒絶できているし、これって実は利己主義と利他主義の対立なのではなくて、相対主義と絶対主義との対立なんじゃないか、とも思えてくる。利己主義について考えるのであれば、視点を変えて、そもそも私が私の利益をそれが私のものであるというだけで追い求めることは合理的であるのか、ってところが重要そう。ここら辺のところをもっとうまく整理できたら良いのだけど。