午前中は母と買い物に行った。帰りにブックオフに寄った。澁澤龍彦『快楽主義の哲学』、リルケ『フィレンツェだより』、中上健次『千年の愉楽』、ドーマル『類推の山』の4冊を買った。キャンペーンで2.9秒チャレンジという、ストップウォッチタイマーを2.9秒台で止めるというものをやっていたけれど、うまくいかず、参加賞のクッピーラムネだけもらって帰った。お昼は、兄が職場でもらってきた紫蘇を使ってシソベーゼを作って食べた。午後は兄と散歩。途中、トンボの大群に周りを囲まれたり、カマキリを踏みそうになって転びかけたりした。さらに夕方は兄と二度目の散歩。兄は夜勤明けのなのによく体力があるものだ。途中、別で散歩していた父と合流して家まで帰った。
リルケ『フィレンツェだより』をぱらぱらとめくった。どうやらこの本はリルケによるエセーという趣きのようで、気の利いた断章がたくさんある。
「各人は、生まれてくることによって、世界を創造し直すのである。何となれば、各人が世界なのだから。しかし、そのほかに無数の、別の歴史的世界がある。そして、人生の大部分は、その世界の一つをみんなで使用できるようにするための妥協に費やされる。人生は、その最も良い力をこの試みに消尽してしまう。」(森有正訳、ちくま文庫、p. 37)
澁澤龍彦『快楽主義の哲学』は、たしか二階堂奥歯『八本脚の蝶』でも取り上げられていた本。目次を眺めていたら、「誤解を恐れないこと」という節が特に気になった。
「他人の目に映る自分の姿を、必要以上に気にすることはありません。他人に誤解されることを、恐れる必要は少しもありません。「おれを誤解した奴は、かってに誤解するがいい。」——このくらいの突っぱねた精神が必要です。(…)むしろ、すすんで相手に誤解の材料をいっぱい提供してやり、自分のまわりに誤解の煙幕をもうもうと張りめぐらして、その煙幕のなかに、自分の真実の姿をかくしてしまったほうが、はるかに気がきいているではありませんか。こういうやり方を「韜晦」(ミスティフィカシヨン)といいます。」(文春文庫、pp. 201-204)
誰かに「理解」されてしまうことを恐れないだけの勇気を持たなければならない。
中上健次『枯木灘』を読み始めた。ベースは「岬」と同じ家系図だけど、新たに義父周りの家族が出てきて、ますます複雑度を増している。他方で筆致はさらに洗練されていて読みやすいし情景が目に浮かぶ。