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2026/10/12:日記

Aqu4
·
公開:2026/10/12

今日は八王子に行った。古本まつりを見物するため。そこでヴェイユ『自由と社会的抑圧』とコーエン『あなたが平等主義者なら、どうしてそんなにお金持ちなのですか』を買った。後者はタイトルがややキャッチーすぎるが、中身は分析的マルクス主義者によるちゃんとした政治哲学の本。その後半の章の問題意識は、果たしてロールズの格差原理は本当に不平等を正当化できるのか、というものである。ここでロールズの格差原理とは以下のようなものである。正義に適った社会において、不平等は、それが社会で最も悪い境遇にある人々の利益になる場合にのみ正当である。では、不平等はどのような場合に「社会で最も悪い境遇にある人々の利益」になるのか。そこで一般に持ち出されるのが次のようなインセンティブ論である。それによれば、人々が利己的な動機づけに従っていることを前提にすると、meritに応じた金銭的報酬の高低は、人々により生産性の高い労働のインセンティブを与えることになる。そして、その余剰は最も悪い境遇にある人々の利益にもなるだろう。しかしコーエンは以上の立論に疑問を差し挟む。それによれば、ロールズの言う「正義に適った社会」においては、人々は格差原理という正義に従って行為するのであるから、インセンティブ論の「人々が利己的な動機づけに従っていること」という前提は成り立たないのではないか、というわけだ。人よりmeritにおいて優れている人がいるとして、もし彼らが格差原理に従って判断するのであれば、自分がより多い報酬を得ることが自分たちの働くインセンティブになり結果として最も悪い境遇にある人々の利益になるからそれを許容しよう、とはならないだろう。もっと端的に、より多い報酬を得なくとも働くことが最も悪い境遇にある人々の利益になるのであれば働く、そういう動機づけを持っているはずだ。だとしたら、格差原理の元ではインセンティブ論は成り立たない。このような批判に対してロールズならどう応答するか。それは次のようになるだろう。格差原理とは個人の行為にまでは適用されず、あくまでも社会の基礎構造に対してのみ適用されるものであって、従って正義に適った社会においても個人は利己的に行為する余地を持つ。従って格差原理とインセンティブ論とは矛盾しない。しかしコーエンはこの「格差原理は社会の基礎構造に対してのみ適用されるものであり、個人の行為にまでは適用されない」という前提に対しても批判を加えていく。という感じで議論は進む。なかなか刺激的な本である。次に八王子のブックオフに行ったけど、特にめぼしい本はなかった。その後はお昼を食べてから新宿へ。ところでお昼を食べるのに良い店はないかと思って複合施設の上階のレストラン街みたいなところをうろうろしたのだけど、私の優柔不断さと勇気の欠如とが発動して、辺りをぐるぐると回るだけでどのお店にも入れずうだうだと時間を過ごしてしまった。結局、駅の改札内にあった蕎麦屋で食べた。その後は新宿で2軒目のブックオフを見る。そこでは森政稔『迷走する民主主義』を買った。前著『変貌する民主主義』をまだ読めていないので、併せて読みたい。行き帰りの電車では井上達夫『自由の秩序』を読んだ。3講までは主にバーリンの自由論の批判的検討を行う。さて、消極的自由という概念は問題含みである。バーリンは消極的自由を「他者による干渉の欠如」として定義づけるが、しかし自由に対する障害は何も他の人間の干渉によるものには限らないと考えられるし、そもそもこれは自由というものが如何に害されるかという話であって、自由というものの正面からの定義になっていない。特に後者の点は大事である。「他者による干渉」と言うが、その他者はいったい何に干渉しているのか。その「何」こそが問題であって、そこを明確にしない限りバーリンの定義は意味をなさない。第4講は社会契約説やノージックの議論を下敷きに、アナキズムから国家を擁護する内容。井上によればアナキズムは共同体アナキズムと市場アナキズム(無政府国家主義)に分けられる。しかし国家による個人の権利の実効的保障がなければ、前者は共同体的専制に、後者は資本主義的専制に陥るのと言うのが井上の分析である。かといって国家が無批判に称揚されるわけではなく、むしろ国家・市場・共同体の3つを均衡させた「秩序のトゥリアーデ」が重要であると主張する。ところでこの「秩序のトゥリアーデ」って、まんま柄谷行人の「資本=国家=ネーション」だ。ただ柄谷がそれを最終的に交換様式Xによって乗り越えられるべき障害のように論じていたのに対して、井上は、3すくみの均衡が保たられる限り、むしろそれは望ましいものであるというふうに論じる。どちらの見方が正しいのかはなかなか難しい問題だ。いずれにせよ、柄谷もまた読まなければならないなと思った。

@aqu4
「僕みたいな麗しい者は、生きていると感慨に耽ることがままある。そういった現実で得られる経験こそ、素晴らしい劇中歌にとっては欠かせないものなのさ。」