朝から頭がだるいし、インターネットが繋がらないし、アパートの外扉が壊れているし、気温は急に冷え込むしで、辛い。でも麻婆茄子は美味しく作れた。
漫画を読んでいた。『スペクトラルウィザード』『星屑テレパス』『ルリドラゴン』。
『スペクトラルウィザード』は第2巻もドラマティックで面白いけど、私としては第1巻がやっぱり好み。あのうら悲しく退廃的な雰囲気と、良い意味でも悪い意味でも何にもならない感じが良い。
『星屑テレパス』はきらら系漫画の隠れた名作だと思う(アニメ化までしているから全然隠れてないという見解もある)。自らのエゴイスティックな欲求が他者のエゴイズムと不可分な関係にあるときに生じる人間的なジレンマを、あくまでもきらら系青春漫画の枠内で鮮やかに描き出す巧みさに感心する。特に第4巻の、ユウの海果に対する「ずるい」という感情は印象的。ユウは海果がいなければ自らの故郷に帰れないけれど、海果はもはやユウがいなくとも自分の居場所を持てる、この非対称性、そしてそれを重大に受け取る自分とそんなことを気にせずにいる海果との二階の非対称性。こういう種の一件相互依存的だけどよく見ると危うい非対称性を伴った関係性が至る所に仕込まれていて、三次元権力論とか適応的選好形成とか要らぬことを考えてしまう。
『ルリドラゴン』は面白いけれど同時に読んでいて少し困惑するというか、どこか気持ち悪さ(この表現は違うかもしれない)を感じる。それは現実社会に対して私が持つ困惑とか気持ち悪さにすごく近くて、それをうまく切り取り出している作品とも言える。なんというか皮層的な深さというか。『悲しみよこんにちは』にも似たような感触を覚えた。引っ掛かりのある不快さ、ざらつき。サガンはそれを意図してやっていると思うけれど、『ルリドラゴン』がどうかはよくわからない。
キムリッカ『現代政治理論』の功利主義の章を読む。私は功利主義者ではないけれど、功利主義が、幸福とは何か、という問いについての議論の発展に資したのは評価している。
政治哲学における功利主義は以下の3つの要素からなっている。すなわち、帰結主義、効用主義、最大化主義である。まず帰結主義とは、ある行為・政策・制度の道徳的評価はその帰結に基づいて行うべきであるという考えである。次に効用主義とは、帰結主義的な評価の尺度としては人々の効用を対象とするべきであるという考えである。最後に最大化主義とは、上記の帰結主義的な効用の評価においては、全体の効用がより大きいほど評価もより善いとすべきであるという考えである。これら3つの考えはそれぞれ独立であるので、別の組み合わせも考えられる。例えば、帰結主義的立場をとりつつも、評価の尺度には効用ではなく基本財や資源を用い、また最大化主義の代わりに平等主義(あるいは優先主義)の立場を取れば、リベラルな分配的正義論に酷似した立場になる。この点から分かるように、功利主義と分配的平等主義とは、帰結主義という側面ではあまり変わりがない。