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月だよ今日は大きくて|2026年4月

aramashi
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公開:2026/5/1

2026年4月2日(木)

枕元がいつになく明るく、あの光は何と尋ねると月だよ今日は大きくてと。窓を開けて確かめる。裸眼で見るそれの輪郭は不確かで、あなたの目に映るものよりきっと大きい。

2026年4月3日(金)

猫に呼ばれる。桜を見ながら公園でパンを食べる。130円でオロナミンCを買う。

2026年4月4日(土)

女が男の姓になることはなんら特別でなく、それ以外はなぜそのようなことをと訝しがられるわずらわしさ。車内のモニターが乱れている。適した比喩を探している。

2026年4月5日(日)

花弁に白く濡れる道を地域猫が歩く。貝殻のように規則正しく並ぶ窓の向こうには観葉植物が頭を覗かせている。磨りガラスめいた暮れに向かって商店街は沈みゆき、飲み放題カラオケ付きは3000円で、死ぬまでハッピーとスナックから聞こえた。

2026年4月6日(月)

事実であったかどうかはいずれ誰にも証明できなくなっていく。あの日の色を覚えているのはもう私だけかもしれず。

2026年4月7日(火)

風が強い。白と黄と橙をつぶして混ぜてサラダに。

2026年4月8日(水)

半袖の青年が駆けていく。家の外壁を覆う蔦がいつの間にか芽吹いている。

2026年4月9日(木)

風でカーブミラーが震え、しかし足裏を支える地面はいたって平らで、揺らがないこちらのほうが正しくないかのようにも。

2026年4月10日(金)

応答されるとここにいるとわかる。まっすぐに揚げられた海老が天を指している。

2026年4月11日(土)

若い柴犬が抱かれているベンチに相席。景品で当てた商品券を使い切る。

土門 蘭『ほんとうのことを書く練習』を読み、腑に落ちる部分が多い。肉体を伴う他者と接した日は言葉が湧きやすく、自身よりも他者や世界について記したい。

2026年4月12日(日)

ピスタチオのタルトとツナのパスタを食べクラフトビールを立ち飲んだら公園で酔い覚まし。あたりに住んでいるだろう猫も姿を見せてくれて歳を重ねたことを祝うには絶好の好天。歩きつかれた足裏を湯船に委ねる。やわらかくてあたたかい水。

2026年4月15日(水)

白色の子がおもちゃに夢中だ。くしゃくしゃの紙をさらにくしゃくしゃにして。

2026年4月17日(金)

駆けていく灰色の子の背が膝に触れてうなだれる。

2026年4月18日(土)

誕生を祝うための金属を贈り合った夜、新宿には血を拭ったあとのちり紙が落ちている。

2026年4月19日(日)

ファミレスと言えば黄と青の印象だがそれはムーンパレスのことであってサイゼリヤでもガストでもロイヤルホストでもない。ミラノ風ドリアが一番好き。間違いはすべて見つけた。

2026年4月25日(土)

高台から貯水池を見下ろす。あそこにも熊が出たとの話。人間がここに住むより前に山があり川があり生き物がいたのだろうから出たというのも勝手な話。

写真の中でプラレールの前に君臨する幼いあなたは満足気。歳を重ねてからも身を寄せてうたた寝をできるといいのだろう。あの人たちみたいに。

2026年4月26日(日)

触れる手が冷たく、ということは彼女からすれば私の手は熱く、握るうち混ざりゆく体温に生を感じて、もっと生きてほしいとたやすく願ってしまう。

親を親としてだけでなくひとりの人間だと知ったうえで、また親であることを見出し直している。この生はたった1秒、1mmの差で分かたれうる無限の分岐の果てにあり、つまりは手放しの可能性や奇跡ではなく彼らの苦心の先に立とう。

2026年4月27日(月)

湖のそばの林にはおそらく我が身を優に上回る体躯の生き物が潜んでいて、いくら水面が美しくともバスから降りようとは思えなかった。

2026年4月28日(火)

雨により山は見えず。道の駅で肉まんを頬張る。部活帰りの高校生たちは、今日もイオンからバスに乗る。

@aramashi
詩歌としての日記|猫2匹|lit.link/aramashi