
働ける調子でなく仕事を早々に切り上げカフェへ。平日の街外れは人気が少なく、道路を湿らす影が徐々に傾いていくのを窓際の席から眺める。チャイのチーズケーキがしっとりと奥深い。堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』をめくり、ここ2年ほどの日記を読み返す。
そこにあるもの、そこに潜むもの、そこから生まれるものから目を逸らさず、手繰り寄せては解きほぐすような言葉の並びに触れるたび、ふっとうれしくなる。
美しさのことを言えって冬の日の輝く針を差し出している
遠くから見ればあなたの欲望も薔薇のよう抜け出した図書室のよう
見上げると少し悲しい顔をして心の中で壊れたらくだ
罪悪感があるとか後ろめたさが拭えないとかといった話をとつとつとこぼして、だけどいつだって嘘なんかつきたくないんだと思った。それが当たり前でなくてもきれいごとであっても。(2023/9/21 - ことのあらまし)
手に入れてもいないのに手放したくない人がいて、どうすればこれをきちんと、ちゃんと正しく大切にしていられるかと、考えることがある。常に隣にいたいわけではなく、同じだけの気持ちを相手に求めるつもりもなく、しかしあっけなくたち消えてしまうのは惜しくて、いつまでも覚えていてほしいというよりは、いつだって忘れていいから、いつか思い出してもらいたい。(2024/2/24 - ことのあらまし)
わかっていることとできることは違うということ。わかっているのにできないことがつらいということ。守りたいものを手放さないためにその他多くを捨てたはずなのに、その守りたいものすら守れていないこと。そんな自分が許せないこと。でも今さら後戻りもできそうにないこと。(2024/4/7 - ことのあらまし)