
2026年7月1日(水)
一段高い場所に立つあなたの手を取る。足を踏み外さないよう。
2026年7月4日(土)
物語が事実と異なるのは筆者や語り部の意図が含まれる点において。心を震わせ涙を誘おうとする意に抗う態度と、目論見に気づきながらこそそれに肺まで満たされようとする姿勢とがある。
李龍徳『死にたくなったら電話して』を読んだ。
2026年7月10日(金)

灰色の子がケージと壁の隙間で裏返って機嫌がいい。ふわふわの腹を撫でる。
2026年7月11日(土)
おめでとう、という言葉にはそれを発した人が何を善しとするかのまなざしが強く表れていて、だから他者のそれと自らのそれとが異なるとき、まっすぐ受け止められない。
そう語る人に膝を突き合わせる飲み屋の席。たとえ見えているものが違っても、祝おうとしてくれるその思いには応答がしたい。
2026年7月13日(月)
ひどい頭痛で日中は横に。太宰治『ヴィヨンの妻』を読む。
2026年7月15日(水)

あなたの文を読み、元気になったと言われて、ならば書いた意味もなおのこと。
2026年7月17日(金)
思い出すたび美しくなってしまう。いかずちが落ちる音がして、泣きながら眠った。
2026年7月18日(土)
爪を琥珀に重ねてもらいながら映画『グリーンマイル』を観る。精神を患うのは罰で、罰は羽虫の形をしているのか、否。
あいにく傘は持ち合わせていなかった。通り雨から逃げるようにしてバスに乗り込み、喫茶で鷲田清一『待つということ』を読む。
2026年7月19日(日)
差し出された側面は果たして核たるものか、あるいは塗り固められた上辺に過ぎないのか。ひとりとひとりで話しているときくらい、何も考えたくはないけれど。
薄紙に巻かれゆく葉たばこを喧騒立ち込める地下に見つめ、一口もらうかどうかとためらった矢先に強いよと言われ手を引く。副流煙でも胸は満ちて、然るに十分劇薬だった。
2026年7月20日(月)
見えなくなろうともなくなりはしていない。掴めなくなろうとも消え去りはしていない。溶けて混ざって底にある。たとえば声に表れる。
書けないもの、書かないもの、書きたくないものが増えた。押し黙り、ひとり考え、静かに向き合う時間が減った。空白を潰すように流し込む雑多で昼が途切れ夜が早まる。雲はあんなに焼けているのに。
2026年7月24日(金)


たくさんの人と話して帰り、猫に触れる。
2026年7月26日(日)
雨が熱を洗い流し久方に涼しい夜の空はいつもより黒が濃く、しかし見える星の数はわずか。凪ぐまでの間は今がまさに渦中だと奥歯を噛み締め時が流れるのを待つより他ない。病のようなものだ。とっくに街ごとが。
2026年7月28日(火)
何もできない。祈ることしか。
2026年7月30日(木)
自分をわかるための行為かと問われると定かに頷けはせず、ただ書かなければ書けないものを書きたいとは思う。私は、私が焦がれるものを、私の生を礎に、手ずから見出したい。
2026年7月31日(金)

時間は圧縮され、記憶は風化し、許せることも諦められることも増えて、過去と現在との差分はいずれゼロに等しくなる。かつてのあなたを今知った。