長く書いたらもう少し整理ができるんじゃないかって思って。
12月にチバの訃報が飛び込んできた。
それよりちょっと前に観に行ったバスケの試合で、音楽隊がLOVE ROCKETSの演奏していて、そういえばチバどうしてんだろ、早く元気になんないかなって聴きながら思ってた。
でも本当は、その頃にはもうチバはいなかった。
その事実がべっとりと、わたしにへばりついている。
ひとはどうしてもその場から急になくなったものに執着をすると思っている。根拠のない、でも必ず訪れると思っていた未来に背中を向かれた途端に慌てる。そうして後悔をする。いなくなるのであればどうしてもっとライブに行かなかったんだ、どうしてもっと記事を読まなかったんだ、と。だって仕方がない、そんとき他のことに目を向けていたから。自分がたどっていた軌跡を見ても至極当然な流れなのに、後悔をする。後悔が薄らいではまた濃くなる。それをこのひと月繰り返している。ガムを踏んでしまって、取りきれないやつをすり足で歩いて取り除こうとずっとずっとずりずり歩いてる気分。
きっかけはもう覚えてない。ミッシェルの曲がずっと好きで、カサノバスネイクの頃のオールバックで白いスーツを着こなすチバの色気に打ちのめされ、一時期は一度でいいから不倫したいとアホなことを言い出す有様だった。そんな邪な考えはそのうち消えたけど、ずっとずっと好きだった。その割にファンクラブにも入らずライブも毎ツアー行くわけでもない、熱心ではなかったけどディスクマンに入ってるCDは毎日ほぼミッシェルだった。
ミッシェルはアホみたいにライブをやってくれた。だからなのか、チケットは発売日じゃなくても手に入ることがあった。当日券でも入ったことがあるし、なんというか思い立った時に観に行くことができるバンドだった。近かった。
ラストヘブンツアーのオーラスが幕張メッセだったのを見て、幕張かー遠いからやーめよ、次のツアーでいいやってチケット取らなかった。そしたら解散発表されて、人生イチの執念じゃないかって思うくらいのテンションで探しまくってなんとかチケットを譲ってもらった。
ROSSOまではミッシェルみたいにライブに行ってた。長く長く伸びた髪が邪魔そうだなって思いながら観てた。だんだんと足が遠のいて、Birthdayになってからは多分単独ライブには行ってない。通りかかったイベント会場の外で(たぶんエアジャム2018)遠くの方から聞こえてきた〔涙がこぼれそう〕が最後だと思う。その時は、微かに聴こえるチバの声がなんだかとても優しくて、近くのベンチで座って曲が終わるまで聴いてた。
Birthdayの曲はミッシェルよりも好きと苦手で分けられた。それでも新しいアルバムが出たとなるとiTunesで検索して聞いたり、写真展があれば足を運んでた。でもライブは行かなかった。離れがちの付かず離れずの距離だった。それをグッとまた近づけたのはLOVE ROCKETSだった。LOVE ROCKETSのギターがミッシェルの曲と酷似してるところがあって、あれ?これってラプソディーと一緒じゃね?ってなってまたミッシェルに戻っていった。そうして三つ子の魂百まで、を体感した。沼は沼のままだった。
訃報後、改めて彼の音を聴き直した。
絵にそのときの心情が乗るように、音もそうなんだなって思った。なんだかチバの軌跡を追ってる気分になった。荒削りの初期、後半の憂、ROSSOもなんか苦しそうに思えた。苦手が多かったBirthdayも聴いてみた。なんというかどれもこれもラブソングだった。めっちゃラブって言ってる。でもそれはミッシェルから変わってなかったのかもしれない。サンダーバード・ヒルズで「ハローベイビー、お前の未来を愛してる」って歌っていて、なんというかすこしむずがゆくなることをしれっと歌うひとで、そこがわたしは好きだった。それはBirthdayでも全然変わってなかった。
年明けに発売された媒体ではライターが追悼文を寄せている。世代的なものなのか、SNSで触れるチバと近しい人たちの思い出話より紙媒体で読む活字の方が刺さるし事実をまた目の当たりにする。ああ、本当にいなくなっちゃったんだなって。訃報自体インターネットで全世界に発信されているんだけど、手にすることのできる物体として発信された文章に、またリアルさを感じた。
追悼という2文字には慣れない。へばりついたガムはまだ全部取れない。取ろうとするからしつこく残るのかもしれない。いつか全部取れるだろうか、それとも硬化して、一体化するんだろうか。どちらにせよわたしは歩いていく。すり足に疲れて普通に歩けるようになるだろうか。まだわかんない。
お前の未来を愛してる、と言ったチバを、わたしはずっと愛してる。
この気持ちはきっと愛なんだろうなと思う。 むずがゆいけど。