【みんなに言いたいことがありまーす!】この鑑賞記は『KING OF PRISM Dramatic PRISM.1』を見たことを前提に書き記しており、ネタバレが含まれています。ネタバレをしたくないよ!という方はお気を付けください。
9月30日、地元の映画館で『KING OF PRISM Dramatic PRISM.1』(以下キンドラ)を見た。作品の新作自体が久しぶりということで、私は事前にAmazon musicの公開プレイリストを使って予習&復習。映画の前に予習ってしてもいいのかな?と疑問を持ちつつも、当日はそんな懸念は必要がなかったほど十分に楽しむことができた。
今回のキンドラは以前作られた『KING OF PRISM -Shiny Seven Stars-』(以下SSS)の総集編となる作品だ。総集編はアニメや特撮ではお馴染みだが、完全新規映像ではないため視聴者に飽きが来ないシナリオや演出が求められる。今回は物語の案内役を十王院グループの会議資料として仕立て上げ、それに出席する社員目線でプリズムショーを見るという構成だった。そのため、映画館に来てパワポを見せられることに。そんな感じなので、本編の前に十王院グループの社訓「ゆりかごから墓場まで」や社歌『ゆりかごから墓場まで~From cradle to grave~』(以下ゆり墓)の唱和などがある。まさか、この体験が後々大きな意味を持ってくるとはわからずに、私はただただ客席で一人「???」となっていた。
さて、本編は総集編だが、その総集編も凝っていて、キンプリ世界のテレビで放映されたとされる、プリズムショーチャンピオンシップ「PRISM.1」のハイライト&LIVE放送番組という形になっていた。そのため、アニメのドラマパートは全カット。私はアニメ映画なのだからドラマパートがどこかにあるもんだとばかり思っていたのでここでもびっくりすることに。しかし、そういった要素を極力排除したことで、プリズムショーの視聴者(それも十王院グループの社員で会議資料越しに接するという設定)としての没入感を得られた気がする。キャラクターが発する歌とダンスのメッセージを、楽屋側でも観客側でもなく冷静に?客観的に観られたのがすごい。SSSは観賞済みなので物語という下地を私はすでに知っている。けれども、プリズムショーを物語から切り離すことで、メッセージやキャラクター性がより純粋なアイドル像となって心の中に描かれることに気づかされた。まるで、心のキャンバスをプリズムスタァたちが舞い踊り各々素敵な何かを描いてくれているみたいだった。
話は変わるが、正直なところ、私は新規刺激に弱いので新しい曲や演出じゃないと満足できないという気持ちがどこかにあった。しかし、純粋に視聴者の一人として(というか、十王院グループの社員として)見るということが、こんなにも自分の気持ちを熱くさせるとは思わなかった。社員目線からしたら彼らの持つ背景はわかったり、わからなかったりするだろうけどプリズムスタァたちが心からのプリズムショーを見せてくれる。そこにある、歌のテーマが一つ一つ熱い息吹となるのを感じた。そういえば、子どもは女の子ならドラマパート、男の子なら戦闘パートが好き、でも両者共通して好きなのはバンクシーン(変身や必殺技のお決まりの映像)だと聞いたことがあるが、その威力ってすごいんだな、とあらためて思わされた。そういうことでもあると思う。うん、アレさんもバンクシーンは大好き!
そして、今回の新曲ゆり墓は冒頭の社歌のみならず、十王院グループのCMソングとしても番組内で挿入される。最初こそ、この曲はなーにこれ?だったけれども、CMの中で、具体的な商品として生活に満ち溢れる十王院グループのあれこれを見ると、不思議と自分がプリズムのきらめきに囲まれていると思わされてくる。帰り路、帰ってからもこの曲を聞くことで、私は「世界はプリズムに溢れている」と感じることができた。いやいや、なんでや!とは思うけれども、このタイトルのようにゆりかごから墓場までプリズムがあると感じ、キャラクターを愛し、そして愛されている今が幸せ、いやずっと幸せだったんだなとぼんやり思ったのだった。
話は変わるが、振り返ると自分の人生の中でキャラクターを愛するということはとても困難な道のりだったと思う。私は男兄弟、男中心の家庭で育ったため女の子の物というのはバカにされたり見下されがちで、それでいながら女の子らしさを求められる矛盾した状況にいた。また、世間水準では女の子らしさに欠ける存在なため、女の子としての悩みを共有できる人が自分にはいない、というか、自分自身でも優先順位が低かったり、知恵がなかったりもした。だから、私の性別:女性の気持ちはいつもどこか孤独で、それなのに孤立を自分から選んでしまう。そんな中、物語を知ってキャラクターと出会いキャラクターを好きになるということは私にとってかけがえない希望だった。また、孤独の隙間を埋めるのに最適だった。好きになるキャラクターの対象は老若男女思いのまま、みんな心の友達になれる。けれども、心のどこかで、これは一方通行でしかないし、物語はいつか終わりが来て、私も卒業するという気持ちから「キャラクターを好きになる」ということに疑問を抱いていた。
そこでキンドラへと戻るのだが、もしも、気持ちがスッキリするくらい「私はこのキャラクターを愛してるし、キャラクターから愛されてます!誓いあいました!」(※概念)と堂々と言える機会があるのなら、多分、その辺り、他の人はともかく自分はもう「どうせ一方通行…」と、めそめそしなくていいんじゃないかとこの映画を見て思ったのだ。別にそれは永遠じゃなくていい。支配し支配される関係でもない。ただ、キャラクターを見つけ、気になり、恋をし応援したことで「このキャラクターと寄り添いあった」と感じられる、そういう感覚がキンドラにはあり、私にも抱けたと思った。勿論、同シリーズの他の作品でそう感じ、プリズムジャンプで心の飛躍を感じた方も多いと思うが、私は楽屋側でも、観客側でもなく、十王院グループの社内会議資料としての番組視聴によるプリズムショーに触れてそこに至ったということだ。その、プリズムスタァたちとの関係性の希薄さや、架空の財閥という現実にはないけれども社内資料、CM、商品紹介、グループ会社名などの現実に近い事象を混ぜ込んでの、最後方から見るプリズムショーはリアルとファンタジーが巧みに交差した、安全な距離感で没頭できる最高のエンターテイメントだった。だから、今回の十王院グループの資料やゆり墓は本当に優秀な演出だったと思っている。
さて、最後にもう一つ、キンドラでよかったことを書いて終わりにしたい。それは映画が終わった後に「誰かと見たい! そして、語り合いたい」と思ったことだ。私は普段、あまりはっきりとそう思うことはないのだがとにかくもう一度、誰かと一緒に見たいと思った。そして、見た感動を同じファンの人たちと分け合えたらいいなと思った。まるでミヒャエル・エンデの『はてしない物語』のラストシーンと同じことが私にも起きたのだ。いつかまたプリズムスタァたちに会えたらいいなぁ。きゅーん❤️
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