2024年3月7日(自他の認識が、歪んだ天秤だ)

ちょっと考えればわかるだろう他人のきもちが、何故か全く想像できない。ということがある。自分の心を多面的にとらえられたとしても、他人の心を一面的にしかとらえられないであれば、その視野はやはり狭く偏っているとしか言えない。

でも、しばしば思ってしまう。才能や、外見や、内面や。他の色々な点で自分よりも優れている人が悩み苦しんでいるのを見ていると、そんだけ才能や魅力あるのに何を悩む必要があるんだ…と思ってしまったりする。自分がそうであるように、その人にはその人だけの苦しみや事情があることを看過している。

でも、思ってしまう。だいじょうぶですよ。あなたはすばらしいですよ。と無責任に。多分、その人の持つ痛苦も、より大きなすばらしさに包含されていると考えている。痛みも苦しみもあるけれど、それも含めてあなたはすばらしいんだ。と言いたい。

でも、自分自身には同じことを言えない。お前はごみだと責めている。苦痛はすばらしくなんかないし、それを包含するすばらしさなんて、もっとない。と考えている。まったく不公平で、偏った世界観だと思う。

単なる自己嫌悪のバイアスだ。ぶん殴ってやる。