2024年4月15日(ぼくたちは何を問うのか)

〈何故人を殺してはいけないのか〉よりも先に、その問いが何処からやってきたのかを考えた方がいい。

すると、全体としての倫理というよりも、個人的な欲求不満の問題に行き当たるはずだ。

ぼくは誰を、何故殺したいのだろうか。ほんとうに殺したいのだろうか。と自問すると、そこには愛の不在があり、その代償を払えという怒りに行きつく。この時、愛とは何かという問いが、殺人への問いに先立つ。

すべての問いは、他の問いの変装であり、また一部でしかない上、問いという行為自体が人間独自の発明でしかない。

だが、問わないということは不可能だ。ぼくらは問そのものなのだから。問題は、何をどのように問うのかということ。問として、どう振舞うかという点にある。

世界はまるで謎の果実で、ぼくらの声はそれを齧る音だ。