2024年4月10日(身体はなんでも知っている)

 例えうまくいかなかったとしても、一日を後悔することが滅多にないのだけれど、昨日は少しの後悔があった。色々やりたいことがあったのだけれど、身体がうまく動かなくて、殆ど行動できなかった。(でも、美味しいおでんを作れたことと、筍を茹でられたことはえらい)

 ぼくはそれほど自分の自由意志や判断力や知性を信頼していない。寧ろ、身体の方をより信頼している。今まで、ぼくの身体は何度も救難信号を発してくれていた。それは、過呼吸や夜驚症という形で現出したし、酒やニコチン(今はやめた)に対する依存症という形で現出した。

 言葉として自覚していないフラストレーションを、肉体はよく代弁して、たいていの場合、嘘を吐かない。

 今。多分、身体の声をよく聴かなければいけない時なのだ。身体はうまく動かないという状態を用いて、ぼくに何かを伝えようとしているのだ。

 ちなみに、過呼吸と夜驚症は、詩を書くことでほぼ完治しました。