季節が何かを勘違いしだして、昨日は五月並みの気温だった。近所の菜の花畑が喜んでいる気がした。菜の花の黄色って、何故あんなに美しいのだろう。今日からまた寒くなるそうだ。黄色ががっかりしていないといいな。
温暖化にしろ、経済破綻にしろ、差別にしろ、戦争にしろ、まあ誰かしらが何とかするだろうし、何とかなるだろう。と考え続けるのには、最早無理がある。事態が時間と共に順方向にしか進まないという点に於いては、何とかなるだろう。だが、それは無為なる時間上の漂流。傍観の漂着先に過ぎない。
事態は必ず結果を迎えるが、それは参加による結果と、傍観による結果のふたてに分かれる。時代はずっと傍観していたし、ぼくもそれに従っていた。でも、もう傍観はやめだ。経験上、それはいい結果をもたらさなかったからだ。
ぼくにも。世界にも。