インターネットは、ぼくらにエコーチェンバー(反響室)効果を強いてくる。
(注釈:「エコーチェンバー」とは、ソーシャルメディアを利用する際、自分と似た興味関心をもつユーザーをフォローする結果、意見をSNSで発信すると自分と似た意見が返ってくるという状況を、閉じた小部屋で音が反響する物理現象にたとえたもの)
エコーチェンバー。認識の密室。その混在。似た興味関心を持つコミュニティ同士のみが結合されるという点においては秩序だっているのに、その秩序がむしろ混沌に見えてしまうという逆説的な様態は一体何なのだろう。自然というものは元来、混沌なのだ。ということを、ぼくらは無意識に知っており、その観点から見れば秩序こそがまさしく不自然であり、人造の混沌なのだ。
SNSのタイムラインのなかで起こるエコーチェンバー効果は、(ぼくら個人がそうであるように)多かれ少なかれ現実と乖離するわけだが、ぼく個人のタイムライン上を見るに、戦争と書店が特に分り易い。
ぼくのタイムラインは、子供たちの死体や瓦礫の町。そしてそれに抗おうとする活動で溢れているが、パレスチナの住人にそう言わせてしまったように、別の誰かのタイムラインでは殆ど虐殺について報じられることがないのだろう。
阿佐ヶ谷の書店<書楽>が閉店した。これは本当に良い本屋だった。立地。レイアウト。品揃え。POPの奥ゆかしさ。店内を流れるBGMにいたるまで、どれをとっても、殆ど非の打ちどころがなかった。ぼくの文化的教養の何割かは、この書店によって培われたとさえ言える。これほどまでに良い書店が閉店を余儀なくされるというのだから、書店の危機がいよいよだ。と思うのだが、勿論他の誰かのタイムラインでは、書店は一つも閉まっていないのかもしれない。つまり、閉店のニュースを流すまでもなく、書店の危機に興味のないユーザーに対しては、この情報が提供されないのだ。
知りたくないことを知らないですむという迷宮に、既にぼくらは迷い込んでいる。
これは密室への個人的な憎悪からくる思考なのだけれど、反響室なんてぶっ壊れしまえばいいんだ。と思う。そして、見知らぬ人に会いに行けばいいんだ。と思う。