小説「ノルウェイの森」では、世界の穢れのなかで生きる覚悟を持てなかった人間が、自らの命を絶った。具体的には、キズキ・直子・ハツミさんだ。
ハツミさんの死に際して、ワタナベくんが永沢さんと絶縁したのは、永沢さんが自身の主義(自分に同情するな)に背いて自らに同情していたように感じたからではないだろうか。ワタナベくんと永沢さんは結果的に愛するものを穢したという点においては同類だが、最終的に二人の自己認識は、当事者と傍観者に分かれたように思う。傍観者は自分に対して同情的であり、これは責任を放棄しているに近い態度だ。当事者として直子の喪失を抱えたまま生きるだろうワタナベくんには、それが許せなかったのだろう。
終盤のレイコさんとワタナベくんの性行為は、この世界の穢れ(「ノルウェイの森」では性自体も穢れの一部だ)を受け入れ、生き延びてゆくための誓約と覚悟の儀式のように思えた。
穢れても生きていてほしい。それは美しくないということではないということを、覚えておいてほしい。
生きていてほしいんだ。