年が明けた。
だからと言って何が変わるわけでもない。年末年始の度に思うのだけれど、人間はなんて区切るのが好きな生き物なのだろう。
区切らずにはいられない。とも言える。そこに意味を与えずにいられない。だけれども、どちらかと言えば、ぼくたちは無意味の海から漂着してきたんじゃないのか。
今年から帰る実家がない。もう蔑まれなくて済むし、怯えなくて済むし、自分の家で好きなひととだけ居れることが、とても嬉しい。ひゃっはーと言いたい。ひゃっはー。
小説を書いていると、自然と家族の描写をしなくてはならないことに気づいた。家族ってなんだ。年末年始に会いたい人のことか。
妻さんが見ていた紅白をチラ見しながら、ビールを飲んで年を越した。(勿論妻さんには言わないけれど)クソみたいな番組だなと思った。なんだろう。死にかけてる人の隣でバカ騒ぎしてるパーティーピーポーを観てるような不快感があり、自分もその共同体の一部とみなされていて、事実そうなのだと言うことに、たまらない嫌悪と絶望を感じる。
弱きものを無視することでなりたっている社会がある。
去年は、オメラスみたいな一年だったな。と思う。ジャニーズ。自民党。パレスチナ。誰もが知っていながら口を噤んでいた事実が破裂した。沈黙はいずれ破裂するということを、ぼくらは身をもって知った。ジャニーズや自民党なんて、いくら滅んだってぼくはかまわない。でも、戦争はだめだ。
それでも、皆さんに幸い多き年であることを願う。
去年は、毎日の小説の執筆と、ダイエットを継続することができた。小説は原稿用紙にして1,000枚以上書いた。体重は9キロ落ちた(正月で数キロ戻るだろうけど)。継続すること自体が、何かを教えてくれる。小さく続けることでしか、変わらない種類のことがあるということ。というか、世の中自体が人間営為の継続の結果なのだ。ぼくたちは何を継続していくのだろうか。