悪は悪と結びついて容易くその勢力を増すが、対して善はどちらかと言えば物静かであるように見える。つまり、善性は個人的に秘めておくべきものであり、結びついて集団に波及されることが推奨されない。という雰囲気があるような気がする。きれいごととか言われて。
悪と善は対立概念なのだろうか。という疑問もそもそもあるだろうが、どう見てもお前それは悪だろってことが世界に蔓延っている。
パレスチナ虐殺はその最たる悪夢であり、むしろ善悪の判断よりも拒否感と恐怖感が先立つ。まず、行為を止めることが先決で、善悪はその後に話せばいいのではないか。とすら思う。結果的に見て、それが正しいのかわからないから。という思慮深さは確かに美徳かもしれないが、その結果として沈黙を選択するならば、それは暴力に正当性を錯覚させてしまうのだ。いじめっ子が「誰にも注意されなかった」という理由から自らの暴力を肥大させてしまうように。
表明しよう。表明した方がいいよ。