震災が起こった。
震災なので、誰も責められない。というか、誰かを責める暇があったら、生命のためにできることをしたほうがいいのではないか。
被災されている方の辛苦を思うと、身が切られるようだ。自分の無力も呪いたくなる。サバイバーズ・ギルトにも似た、この罪悪感…。これもまた、自分を責めていることになる。ある場合には、自責と自慰は同義だ。みたいなことを、誰かが言っていた。
自分を責めるな。また。誰も責めるな。というのが、ぼくの基本的な考え方だ。誰も責めるな。は親に叩きこまれた。これは寛容であれ。というのではなく、おれたち親御様に文句を言うな。という意味で教育された。自責的なぼくの思考パターンと固く連結している教育だ。だが、おかげでなるべく誰も憎まずに済んでいる。その分、自分を憎んでしまう癖をどうにかできないかと考える中で見つけたのが、自分を責めるな。信頼できる人たちはみんなそう言ってた。これを信じてる。
自分を責めるな。
どんな小さなことだって。例え祈るしかできないとしても。冷笑や他責よりは意味がある。とぼくは思う。少しでも被害が抑えられますように。
生きて欲しい。見知らぬ人に僕は願う。見知らぬ人たちの間にしかない、祈りや願いがある。ぼくたちは、一人残らず誰かの見知らぬ人なのだ。
見知らぬ人へ。生きてください。