一昨年の秋、母方の祖母が亡くなった。97歳、最期を迎えたのは病院だった。
同じく母方の祖父はずいぶん昔に亡くなったけれど、自宅で、家族(祖父にとっての妻、長男、長男の嫁、娘、娘の長女(私))に見守られて静かに息を引き取った。
そんな祖父の最期のイメージがあるからなのか、97歳になってもなお元気な祖母の最期は、皆で見守ることになると信じ込んでいた。
まさか、念の為にと行った病院で何かの弾みみたいにして亡くなってしまうだなんて、あんなにも情に厚い人が家族に看取られなかったなんて、本当に悲しく悔しくて信じられなかった。
動かなくなってしまった祖母の体も見たし、硬く冷たくなってしまった頬も撫でたし、灰と骨になってしまった姿も、小さな骨壺に入った姿も見た。
それでも、未だに、あの矍鑠とした祖母がもうこの世界にいないことが信じられない。パタパタと歩く足音や、話しているうちに感極まって泣いてしまう姿や、無理やりお小遣いを握らせる案外力強い手が、いまでもくっきり思い出せる。
今まで近しい親族が幾人か亡くなっているし、死に向き合うのは初めてではないのに、祖母の死に関しては、一向に実感がわかない。あの家に行ったら、今でも祖母が出てきてくれるような気がする。
なんだろう。なぜこんなにも実感が持てないのだろう。