灯台のような人々

arnms
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先日およそ5年ぶりに携帯の機種変更を行なった。

前回買い換えた時は、ある日突然画面が真っ暗になり学生時代の写真も、クラウドから取りこぼされた音声データもメモもパスワードも、一挙にリセットされる事態になった。

その時に慌てて買った中古iPhoneを使い続けて早5年。幾度かの水没と落下の衝撃を経て、もはや空前の灯火であった携帯を、笑い話として話していた所、そろそろ危ないんじゃない?と本腰で嗜められたことをきっかけに久方ぶりに新調をしたのだった。

すみません、久々に変えるので勝手がわからず…と縋るように電気屋に駆け込み、簡単なセットアップを経て携帯を使い始め数日。懐かしい人からの連絡が届いた。

「アトリエに通われていた◯◯さんですか?お元気にしてらっしゃいますか?」

冒頭にそう綴られたメッセージには、かつてお世話になった画塾の先生からの近況報告が短く綴られていた。

直ぐ様、◯◯年生まれ、学歴で検索し在籍時の年代と共にメッセージを送る。

どうやら機種変更時に電話帳が読み込まれていたらしく、その通知をきっかけに友達の申請を送った旨が返ってきた。

また近くに寄る際は伺わせて下さい。その日は他愛無いやり取りを重ねて締めくくった。

それから更に数日後、ポンポンと展覧会のDMの画像が届いた。文面にはギリギリでごめんなさい、せっかくなのでという控えめなメッセージ。悩ましい日程であったがこれも何かのご縁、会期終了を目前に控えた週末、展示会場に赴く運びとなった。

会場は賑やかな大通りから数本抜けたビル群の隙間にすとんと拵えられた建物で行われていた。ギャラリー特有のやや重い扉を押し開けると、数人の視線が向けられる。

ソワソワと背を丸めながら中に入ると人垣の中心に、記憶と違わぬ姿の先生の姿を認めた。あっどうも…と気の抜けたご挨拶をしながら近づくと、ややあって「〇〇さん?」とにこやかに声を掛けて頂き胸を撫で下ろす。

恐らく私の先輩方にあたる方々がいらっしゃっていたのだろう。ほんの短い期間にお世話になり、以降の交流を蔑ろにしていた自分が躍り出るのも気が引け、挨拶もそこそこに展示作品のある奥の方に歩みを進めた。

わ、懐かしい…!

部屋の一角に置かれた生花や花器、生活雑貨が描かれた作品群が急速に、かつ見境なしに記憶の戸棚を開け巡る。そこに描かれているのは、通いなれた教室の奥まった部屋に収められていた景色だ。

絵の良し悪しよりも、懐かしい光景が次から次へと脳裏を過り、心は一瞬のうちに学生時代に引き戻されていた。

久しぶりね。柔らかな声かけと共に簡単な作品の説明を受ける。許容範囲を超えた懐かしさの波に飲まれ、へぇ、とかそうなんですね、とか拙い反応しか返せぬ私をよそに先生は滑らかに話を続けた。

展示の終点にたどり着くと、話題は緩やかに思い出話に移り替わった。居てもたってもいられず、当時の印象的な会話を伝えると、ええ?!そんな話してたの私とコロコロとした笑いまじりの言葉が返ってくる。

学生時代に先生の口から語られる異国の話は当時の私には心底面白くて刺激的で、デッサン中の心をかき乱した。

「初恋は実らないものよね」「ねえ、あなたはパリの小道を歩いたことはある?パリはね昔の姿がそのままの場所が沢山あるのよ。かのピカソ、ダヴィンチ、ルソー、有名な画家たちに想いを馳せながら道を歩くの」

思わずえっと振り向くと、その度に視線はそのままと嗜められたものだった。小学生から高校まで、長らく運動部からなるコミュニティが世界の大半を占めていた私には、美術やそこに豊かな人、言葉を見出す先生の登場は控えめに言っても衝撃的な出会いであった。

そんな記憶は、案の定私の中でのみ燦然と輝いていた様で、若い子捕まえてそんな話しちゃってねえとはにかみながらすぐ隣に立つ夫(アトリエはご夫婦で経営されていた)に話を振っていた。

口数の少なく、長身のその先生もこれまた素敵な人で、私がイーゼルに向き合っている間は大抵本を読んでいらっしゃっていた。終わり側に声を掛けると、じっと視線を走らせてこのモチーフは残して来週も描こうか。と誤魔化した箇所を瞬時に言い当てられ描き上げられる様になるまで辛抱強く見守ってくれていた。

「ん、なに」「いやね、〇〇さんがね。私の話が印象的だって」「何話したの?」

初恋は実らないものよねとか言ってたらしいわよ。愉快そうにそう伝えると、あれ初恋は僕じゃなかった?とさらりと口にする。ああ2人のこんな会話が大好きだったなと口元が緩んだ。

その後はギャラリーの方に勧められたお茶とお菓子を頂きながら、思い出話と近況報告に花を咲かせた。今回の展示は先生方がパリに住まわれていた頃の友人とのご縁によって開催されたという。会場が閉まる直前に滑り込んだため、短い時間であったけれどここに書ききれないほどの魅力的な話題のオンパレードで、思わず会場を出た後に携帯のメモに会話の覚え書きを残した。

通っていた教室は春になると豊かな木々の緑と花に囲まれる、ジブリみたいなアトリエだった。そんな場所で先生をする事が妻である先生の夢だったという。「じゃあね、またね」と生徒に手を振る自分の姿を想像した時から、あの場所が形つくられるまでの話は、この後の人生への希望や楽しみが湧き上がるものだった。

ギャラリーを後にし、その足で友人の誕生日パーティーへと向かう。仕事の縁から交流が始まった彼女を形作ってきた人々は、想像通り素敵な人ばかりで、こちらも大変楽しい時間となった。

新旧のご縁が一堂に介した不思議な1日は、ここ暫くトラブル続きで荒んだ心を温かく瑞々しい気持ちに引き戻してくれた。時折人生に現れるこの灯台のような人々を思う時、文字通りポッと胸が温かい心地になる。

明日使える実用的なライフハックでも、成功と確信に満ちたアドバイスでもなく、ただその生き様を聞いているだけで、人生悪いもんじゃないなと気力が湧いてくる。穂村弘さんの『はじめての短歌』に綴られていた「生きのびることではなく、生きること」についての言葉が思い出された。

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つまり「生きのびる」ためにはそれがないと困ると、万人がそう思っているものだから。メガネとかなんでもね、ないと困るもの。お金ですよ、究極的にはね。

でもぼくらは、「生きのびる」ために生まれてきたわけじゃない。では何をするために生まれてきたのか。

それはですね、「生きる」ためと、ひとまず言っておきます。

『はじめての短歌』穂村弘/p25 「第一講 ぼくらは二重に生きていて、短歌を恋しいと思っている」より