すべての女の子が”人間”になるのに、誰の許可もいらない - いまさらかもしれない映画『バービー』感想

かむら
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※この記事は映画『バービー』のネタバレを含みます。

 

もう随分前の公開映画で、今更かもしれないが、私にとってとても印象深い映画だったので感想を残しておく。

 

まやかしの幸福の洗脳から目覚める

バービーランドは物語中、家父長制(とても雑に説明すると、男は偉いんだ!女は男の付属物にすぎないから大人しくしとけよ!って考え方)に乗っ取られ、バービーたちの多くは家父長制の洗脳を受けてしまう。この家父長制の国からバービーランドを取り戻すのが大きな物語の流れである。でも、仕事を奪われ、男たちのお茶くみや応援団に追いやられた彼女たちは、違和感をもたずに家父長制的な世界観を楽しみ、ずっとこうしていたいと言う。

この姿を見て、「女性差別なんてない」と思いこんでいる人は幸福感が高いという研究結果を以前目にしたことを思いだした。

(ジェンダー)差別規範の強い国では差別の存在を否定している女性の方が、そうでない女性よりも幸福感が高いのである。

(青野篤子, 土肥伊都子, 森永康子 - [新版]ジェンダーの心理学:「男女」の思いこみを科学する)

こうした研究結果もあるように、日々の生活で世の中をフェミ的な視線で見るとしんどいことも多い。何も考えないほうが幸せかも、と思うこともある。しかし、臭いものに蓋をしているだけで本質的な解決にはなっていないし、その幸福感はまやかしだ。

一方で、フェミニストのアイデンティティが幸福感と関連しているという研究結果もある。

研究の結果、より発達したフェミニストのアイデンティティは心理的幸福とプラスの関係があった。

(Saunders, K. J., & Kashubeck-West, S. (2006). The Relations Among Feminist Identity Development, Gender-Role Orientation, and Psychological Well-Being in Women. Psychology of Women Quarterly, 30(2), 199-211. https://doi.org/10.1111/j.1471-6402.2006.00282.x)

バービーを見ていたら、日々のしんどさを思い出したり、それでも洗脳から目覚めてひとりの人間として生きようと思えたりして、少し泣いてしまった。

 

 

人形(もの)から人間になる

私は実は博士号を持っている(今は大学にいないのだが…)。大学に居た頃の専門領域は心理学、具体的には「やせ願望」だった。どうして女性はやせたくなるのか、その理由に関心があった。

多くの女性がやせたいと思い、ダイエットをしている。やせ願望の何が悪いのか。摂食障害(いわゆる拒食症や過食症のようなもの)につながる、というのがよく知られた理由である。摂食障害は死に至る病で、多くの女性が苦しめられている大きな問題だ。

やせ願望は摂食障害以外の問題とも関連している。自分の身体に不満を持つことは自尊感情を低くしたり、鬱にもつながる。精神面だけではなく、婦人科疾患や骨粗鬆症などの身体の問題にもつながる。

身体にも心にもよくないのに、なぜみんな、やせたいと思うのだろうか。何のせいで?

 

大学でやせ願望に関連する論文を山のように読んだが、その中で、頻繁に登場し、批判されていた人形がある。そう、バービーだ。バービーは長年、やせ願望や摂食障害に関する研究において批判され続けてきた。女の子たちはバービーで遊ぶたびに、バービーの体型が「理想」であると刷り込まれていく。実際の女性の身体からはかけ離れてやせたその体型を。

日々触れるすべてのものが、特定の価値観を私達に刷り込む。やせた女性しか登場しない雑誌やテレビ番組、太った女性を揶揄するバラエティ、太った人が悪い扱いをされるドラマや漫画、細い服ばかり置かれた店、ダイエット広告、クラスでやせた子がモテること、太ってることを理由にいじめられるクラスメイト、親がダイエットをしていること。そのなかでも、子どもの頃に触れるおもちゃの影響は大きい。

私がやせ願望の研究を始めたときには、日本にはまだボディポジティブの動きはなかった。現在ではプラスサイズモデルが登場したり、ルッキズムの問題が取り上げられるようになってきている。多様な体型の女性像が多くの場所で扱われることによって、「理想」の形は変わっていく。

 

バービーは批判を受けながら変わってきた。ボディポジティブや多様性を受け入れて、多様なバービーが生まれた。バービーをきっかけに、この問題について知る人もいるだろう。こうして、世の中の意識は少しずつ変わっていく。

そして、映画の中でも描かれていたように、バービーは批判されてきた一方で、多くの女の子をエンパワーしてきた。女の子は何にでもなれる。大統領にも、裁判官にも、医者にも、宇宙飛行士にも。

功罪を理解した上で見て、やはりバービーがフェミニズム映画をやる意味は大きいと思った。自己批判を含むからこそ、メッセージも強い。

 

今の世の中では、女の子は対象化されている(もののように扱われている)。身体は加工できる・操作できる”もの”だと刷り込まれ、ダイエットしよう、やせようと思わされる。顔だって整形手術で変えようとする子もいる。

バービーは映画の終わりに、人間になる。その際彼女は、母に許可を求める。でも、母は「許可はいらない」という。

人形から人間になるということは、対象化された存在(もの)から生身の人間になること。人間として身体を扱い、コントロールできない部分も含めて、大切にすること。現実の女の子たちも、対象化された存在から人間になってよいのだ。そして、それには誰の許可もいらない。

 

 

リバイバル上映しているところもあるようなので、関心のある方はぜひご覧になってみてください。

 

 

引用・参考文献

@arumak
アウトプットする場所が欲しかったので作りました。