こんにちは。かむらです。
じわじわ文章を書き始めようと思っています。よろしくお願いします。
過去の経験「女の子元気だよ」「男も元気にしてよ」
私は、「女の子を元気にしたい」を人生のテーマの1つにしています。
各所で自己紹介するときに、このテーマに触れることもあります。
そして、そのたびに遭遇する定形のお返事があります。
「女の子、元気ないかな?十分元気だと思う」
「自分の周りの女の子は元気だよ」
「男も元気にしてよ」
「男のほうがもっとつらい」
これらはすべて、男性から返ってくる言葉です。
あまりにも多くの男性から言われるので、最近はこの事象に慣れてきてしまいました。
なんでみんな同じようにこうやって言うのでしょうか?
その場のノリ?深い意味はない?
実はこういうあまり考えずに出てくる言葉って、意外と深い問題に繋がっていると感じています。
女の苦しみを非当事者がなかったことにするのは違うでしょ
「女の子元気だよ」
これを男性が言うことの問題についてまずは触れます。
私は自分の周りの女の子が元気をなくしていく姿を見ています。
そして、自分自身の経験としても、日々生きているだけで元気を削られていくと感じています。
女性が当事者として感じていることを、男性が外側から「そんなことない」と言っていいのでしょうか。
男の人って対象外にされることに敏感じゃない?
この話をしていてすぐに思い出すのは、男性が女性用のサービスや施策に遭遇したときに怒っている姿です。
男性って自分が対象外にされることに敏感だな、と感じています。
女性専用車両、レディースデー
例えば、女性専用車両やレディースデー。
「女性専用車両は男性差別である」という言説はちらほら見かけますよね。
男性が言っているのも見かけたことがありますし、女性が言っているのにも遭遇したことがあります。
2023年11月には、NPO法人日本弱者男性センターが都電荒川線を貸し切って男性専用車両を運行したことがニュースになりました。記事内でも、「男性専用車両がないのは差別だ」、「女性専用車両があるのだから、男性専用があるのが当たり前になってほしい」という言葉が取り上げられています。
そもそも痴漢がなければ女性専用車はいらないのだが…
こうした男性専用車両を望む声の背景には、痴漢冤罪対策があります。
上記記事内でも、男性が痴漢冤罪に対して不安を感じていることが述べられています。
しかし、痴漢が滅多に起きない世の中になれば、痴漢冤罪も起きないと思うのです。
痴漢は1980年ころにはブームになり、とても人気のコンテンツだったそうです。
痴漢が増えるにつれて被害女性たちが声をあげるようになり、男性たちは自分が冤罪被害を受けることに怯えるようになりました。
(参考:痴漢問題はなぜ「冤罪被害」ばかり語られるのか - 牧野雅子 / PRESIDENT Online)
元凶は痴漢であり、冤罪被害に怯える男性と痴漢被害にあう女性とで協力して、痴漢をなくすほうの努力をしたらどうだろうかと思うわけです。
ちょっと脱線しましたね。本題に戻ります。
女の子のため、っていうのに男に配慮する必要はあるのか
フェミニズムをやるときに、「女の子のためにやりたい」というときに、「男性のためにもなりますよ」と注釈をつけないといけないのでしょうか?
女が女のためにやりたいことがあってもよいではないですか。
なぜ、男性の気持ちに配慮しないといけないのでしょうか。
傷つくこと、対象とされないことに慣れていない
男性はマジョリティゆえに、傷つくことに慣れていないようです。
「マジョリティは、傷つくことに慣れていない」、という指摘はそうかなと思います。だからといって「私たちが傷つかないように、やさしく教え諭してほしい」とマイノリティ側に要求するのではなく、「頻繁に傷つかなくても済む立ち位置にいられたこと自体が特権でもあったのかな」というかたちで、理解していく必要があると思います。
(「ポリティカル・コレクトネスからどこへ」 - 清水 晶子, ハン トンヒョン, 飯野 由里子)
男性の生きづらさがあるのは理解しています
男性がマジョリティだからといって、つらいことがないとは思っていません。
男性には男性の生きづらさがあります。
男性学
男性学という学問分野があります。
男性優位社会批判とメンズリブの大きく2つの流れがあるそうです。
フェミニズム/女性学は女性の視点ですが、男性学は男性の視点で問題を解決しようとします。
(参考:『[新版]ジェンダーの心理学:「男女」の思いこみを科学する - 青野篤子, 土肥伊都子, 森永康子)
有害な男らしさ、家父長制が共通の敵
「有害な男らしさ」や「家父長制」によって女性は苦しめられているのですが、これらは男性を苦しめるものでもあります。
男性が常に女性よりも優越し、男性中心で物事を動かしていく、いわば女性差別的な社会の仕組みを無理やり維持しようしてきたことの歪みが、女性だけでなく一定の割合の男性たちも苦しめている現象として理解すべきです。(「男性にとってのジェンダー平等とは」(視点・論点)- 多賀太 / NHK解説委員室)
男性、ケア苦手だよね
男性には男性の生きづらさがあり、その原因もわかっていることが見えてきました。
では、男性のみなさんご自分でどうぞ、と言ってもなかなか難しいと思う人も多いようです。
マジョリティはケアが苦手
なぜ自分でできないのでしょうか?
さきほど男性はマジョリティゆえに傷つくことに慣れていないことに触れました。
男性は、「ケアすること」も苦手なようです。
まあ最近よく言われる話でもありますが、「自分の傷は自分で癒せ」じゃないけど、セルフケア的なものの必要性はすごく感じます。あんまり一般論で言ってはいけないかもしれませんが、マジョリティであるほどセルフケアが苦手だという印象はやっぱりある。
(「ポリティカル・コレクトネスからどこへ」 - 清水 晶子, ハン トンヒョン, 飯野 由里子)
家父長制のもとではケアを女性にしてもらうようになっている
家父長制のなかでは、女性たちがケアをするように推奨されています。
また、女性はケア労働に向いているというジェンダーステレオタイプもあります。
このような社会的背景のもとで暗黙のうちに了解されているのが、「女性は女性であるがゆえにケア能力に優れている」という言説である。それは例えば「女性には思いやりがある」「男性に比べて共感力が高い」「女性ならではの気遣い」といった形で表出し、共有されている。
(「非モテ」からはじめる男性学 - 西井開)
ケアってけっこう複雑な労働です
しかし、女性たちが普段やっている「ケア」、意外と複雑な労働なんですよね。
ケアを引き受けた人は感覚や認知能力を使って複雑な労働をおこなっています。「女性はケアが得意だから」と言うことで女性の負担を軽視していると言えます。ケアは「Care For(身体的労働)」の他に「Care About(気遣い)」が必要と言われています。山根教授は気遣いという曖昧なものではなく、「Sentient Activity(察知する)」という認知的な労働と捉えるべきではないかと語ります。
(「ケア労働とジェンダー平等」をテーマに講演をおこないました。- 実践女子大学社会連携プログラム)
なので、慣れていない人が急にやろうといっても難しいのも頷けます。
マイノリティは自分たちでケアしあってきた
でも、マイノリティは傷つくことが多いので、自分たちでケアするしかありません。
やってきたから、できるのです。
マイノリティは傷ついてきて、ずっと、それを、だいたいは自分で癒やしてきたんですよ。小さな連帯とかはしつつもね。自分で癒せないと、そこで生きていけないから。
(「ポリティカル・コレクトネスからどこへ」 - 清水 晶子, ハン トンヒョン, 飯野 由里子)
ケア=男らしくない?
男性がケアを苦手とするのには、別の要因もあるようです。
ケアをすることは、男らしくないと思われていることです。
「セルフケア(の欠如)の発見」をきっかけに気がついたのは、同じように悩む男性がたくさんいることでした。どうやら、男性はセルフケアが下手なことが多いようなのです。私自身そうだったので分かるのですが、そもそも身体に対する感覚が鈍い。真夏にスーツを着る、真冬にリップも塗らない、風邪を引いても出社する。痩せ我慢が美徳で、身だしなみは軟弱とされるなど、「ケア=男らしくない」文化さえあります。ようするに、休むのも自分の世話をするのも下手なのです。
(「セルフケア」「自分の世話」が苦手な僕が「美容」を始めたら見える世界が変わった - 鎌塚亮 / 現代ビジネス)
「見た目を気にすることは“男らしくない”」という価値観の存在も大きい。 男同士のあいだには、美容をはじめとするセルフケアは、イケメンの特権であるという不文律がある。 もっと言うと、俳優やモデルといった一部の職業を除き、男が見た目にこだわるのは上っ面だけのチャラチャラした“男らしくない”ことであり、中身や本質で勝負してこそ“男らしい”という価値観がうっすらとはびこっているのだ。
(「カッコつけたらいじられる」男社会の”からかい”という制裁 - 福田フクスケ / 現代ビジネス)
一部男性には、女性がセルフケアをすることを馬鹿にするような風潮もありますよね。
ケアは男性のつらさを脱却する一歩では
こうやってみるとまさに男性が「有害な男性性」によって自分をケアできなくなり、苦しくなっているのだな、と感じますね。
しかし、ケアをすることで「有害な男性性」からも脱却でき、自分を労って元気にもなれるのなら、ケアはとてもいいことなのかもしれません。
男性のムーブメントもあります
さて、では男性が自分たちでケアできるように、具体を紹介をします。
国際男性デー、あります
まずは国際男性デーです。
11/19は「男らしさ」や男性の問題について考え、ジェンダー平等を目指す日です。
よく3/8の国際女性デーに「男性デーはないのか?」と聞かれるのですが、あるんですよね。
この日の近辺にはいろんなイベントが開催されるので、探してみるのもよいかもしれません。
メンズリブ
そしてもう1つは、この記事の最初に少し触れた、メンズリブ。
メンズリブは、男たち自身が男たちの問題を話し合い、解決する動きです。
同じ境遇の男性たちが集まって「ガス抜き」のようなことをするのも大事なんじゃないかと思います。
(国際男性デーに考えたい男性の悩みや葛藤、田中俊之准教授「体は雑に扱われてきた」/ 朝日新聞GLOBE+)
活動している団体は、日本にもあるようです。
Re-Design For Men を主催し、男性の語り合いグループを実践していた。このグループは、男性が主体的に男性の問題を考える「メンズリブ」という一九九〇~二〇〇〇年代に隆盛した活動を下敷きにしており、男性同士で自分の抱える悩みや愚痴を何気なく吐き出せるコミュニティとして設定していた。 (「非モテ」からはじめる男性学 - 西井開)
自分だけかもしれないと思っていたことについて、他の人も似た思いをしていたのだと気づき、つながり、解決していく。
フェミニズムの中で女性たちがしてきたことです。男性たちもできることなんですよね。
”私”の目的は女の子を元気にすること
改めて言いますが、私の人生のテーマは「女の子を元気にすること」なのです。だから、男性たちのことは男性たちにおまかせします。
と、言いながら、このような男性を救う記事が最初の記事になってしまいました。
ここまで書いてやっと「男性たち、ご自分でどうぞ」と大きな声で言えるようになる、という状況もどうなのかな…とは思います。
次回からは女の子を元気にすること、につながるような、私の日々の気になるトピックについて書いていきます。
気に入っていただけたら、次回以降も読んでいただけると嬉しいです。
かむら
参考・引用文献