4月は新しさに溢れている。新年度、新学期、新入社員、新たまねぎ。
ここにきて何も新しい事のない4月を迎えるのがおそらく生まれて初めての私は、すこし焦って、とりあえず自動車学校と歯医者に通う事にした。これで私も新入校生であり、新規患者というわけだ。なにかがリニューアルされた気分になる。ついでに資格の勉強も始めてみたりして、現時点ではなかなか自分に向いてるんじゃないか?と調子に乗っている。
自動車学校のロビーは、大学図書館に勤めていたころを思い出す。図書館から一歩外に出ると、そこは大学の広大なキャンパスで、20代前後のせいぜい5歳程度しか離れていない子たちがきゃらきゃら笑い合っていた。ひとりでいる子も全身にベールのような「自由」をまとって気ままに居眠りしたり、誰かを待ったりしていた。せわしなく歩いているのは我々職員ぐらいで、先生たちも学生たちものんびりとして楽しそうであった(試験期間を除く)。
かつて日常的に眺めていたその風景を重ね合わせ、年齢が倍ほど違う入校生らの近くに座りながら、この空気、懐かしいなあと思った。たぶん私がもう少し若かったら、ここまで周りを観察したり、ノスタルジーに浸る事もなかった。
10代、20代のころの私は小説を書くことでしか肥大しきった自意識を発散するすべを知らず、それでもまだ足りずに、破裂しそうな自意識を背負いながら人の目ばかり気にして怯えていた。おそらくその頃の私が今の私を見たら、眉をひそめたに違いない。場違いな色のニットに、やたら明るい髪色、子どもがいるふうでもなく、スタッフとなれなれしく、いつも妙に機嫌がいいおばさん。へんなひとだ、と断じただろう。(おそらく近所の老人はみんなこう思っているとおもうが)
でもまあ、全部本当だから仕方ない。都会のいいところは、誰がどんな服装をして何をしていても誰もかまわないところだ。けれどもうちのような地方都市の住宅街では、すべてに理由が必要だ。どうしてそんな髪色なの?どうしておばさんなのにオレンジのニットを着ているの?どうして平日昼間からふらふらしているの?どうして子どもがいないの?結婚は?親は?仕事は?
聞かれれば答えるけれど誰も聞かないから釈明する機会がない。ただ、通う事にした歯医者の先生はざっくばらんでお喋り好きなので、「どうして都会から戻って来たの?」「どうやってその仕事になったの?」「そのゆびわどこで買ったの?」などと矢継ぎ早に質問され、私も「離婚して戻って来ました」「学校で資格取れるんすよ」「このゆびわ300円です」などと誠実に答えている。へんな人だなあと思うが、この辺的に言えば私も充分へんなおばさんだ。他人のことは言えない。
それに自動車学校では、他人よりだいぶ遅れて免許を取ることで、私はかなり、スタッフに認知されている。他が学生ばかりだから当然だ。フロントに近づくだけで名乗っても居ないのに苗字を呼ばれ、廊下を歩いていても「こっちですよ」と教えてもらえる。今のところはお客さん扱いだ。教習が始まったらどうなるか解らないが。
あくせく働いて家庭を回していたときは、『いつかやりたいけど今はできないリスト』に入っていた事項をひとつずつ消化していっている。そのうちのひとつ、厄介な場所に生えた親知らずを砕く予定が来週にある。「歯列矯正で八重歯を抜いた時よりは痛くない」と歯科医は言うが、20年前の痛みより現在の痛みだ。家じゅうのロキソニンをかきあつめておこうと思う。
明日はさっそく自動車に乗ってみるメニューで、まるで他人事のように現実感がない。たぶん色々あると思うので(私は私の運動神経をいっさい信用していない)、そのことも日記にできればいい。