う゛ぃーおん、う゛ぃーおん。
バスのウィンカーは不気味な音を立てて動いていた。時刻は夜7時すぎ。私は歯医者へ向かっていた。口の中には鈍い痛みが広がっている。わずかに血のような味もしていた。五日前に左下の親知らずを抜いたのだ。今日はその観察のため、歯医者の予約をしていた。
バスを降り、歯医者へ歩く。道は夜。暗い中に細い雨と痛みが突き刺さる。痛みはだんだんと強くなっていた。額には汗が吹き上がり、自分が救いを求めて歩いているのか、死地へ征こうとしているのか分からなくなってきた。誰か私を許してくれ。瞳に映るのは缶チューハイを飲みながら自転車を漕ぐ男と、横断歩道の真上に停まった自動車。もうなんでもいい。いや、法律かなにかで禁止されているかもしれないけど、なんでもいい。なんでもいいから私を許してくれ。そんなふうに思い始めていた。それくらい、痛みは強い。
歯医者に着き、待ち合い室の椅子に座る。待ち合い室はいつも通り、つけっぱなしのテレビの音と流れっぱなしの音楽が混ざり、何も聞き取れなくなっていた。
予約していた甲斐があり、私はすぐに処置室へ呼ばれた。担当は歯を抜いた歯科医ではなく、初対面の方だった。「痛みますか」と聞かれ、「常に痛いです」と答えた。いまにも気絶しそうだとは言わなかった。椅子を倒され、口内の清掃をしていただく。うぃーん、しゅーっ、口の中吸いますねー。すると、私の歯を抜いた歯科医がやってきて、なにか呟いた。「痛いらしいです」「えっ、ドライソケットじゃないの」「そうかと思ったんですけど」私の口の中を覗き込む歯科医たち。「ちょっと痛いかもしれません」つんつん。迸る激痛。「ドライソケットだよ」
ドライソケット!??!!?!????!???
なんでも、血の固まったものをうがいか何かで取ってしまったらしく、骨が露出しているらしい。どうりで痛い訳ですね。
二週間後に左上の親知らずも抜くことになった。私はいま、死地から家へ帰る途中である。