不適切にもほどがある 第6回

asanohikari
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先週、市郎と純子が9年後の震災で亡くなることが明かされてから、何を見ても切なくて仕方がない。これは史実(?)を知った市郎と同じ気持ちだろう。人の命には限りがあるとわかっていても、自分はともかくまだ若い自分の子どもとなるとなんとか助けられないかと考えてしまうのが親というもの。

震災は私たちにとっては過去で、市郎と純子にとっては未来だ。17歳を思い出す大人たちと違って17歳の今を自分の感性で精一杯生きる純子が眩しい。そして純子の娘の渚はあの日の母の年齢をとうに超えてるのがややこしくもあり面白くもあり切ないのである。クドカンめ。

一方で吉田羊演じる社会学者の学者らしからぬセリフに激しい嫌悪感を表明するポストをいくつか見た。しかしクドカンをこき下ろすポストのすぐ後におっさんずラブを楽しむポストが続いていたりして、何だかなーと思った。え?クドカンは不適切でおっさんずは適切なんですか??私にはとてもそうは思えない。(特に2作目以降は)おっさんの方がマイノリティをエンタメとして消費する方向性を強く感じるんだけど。

というわけで、このドラマが不適切だと噴き上がっている人々が望む適切な世界は本当に完璧なのか?という疑問を強く感じた今回でした。