不適切にもほどがある第7回

asanohikari
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「最終回が決まってないのは最高」と市郎は言う。自分の人生がいつどうやって終わるかを知っている市郎が言う。そっか、人生はネタバレがないから面白いってことね。私、自分の人生はしんどいばかりで面白いと思ったことないけど、最後も見えてきてとても楽しくなるとも思えないけど、確かにどうやって死ぬかはわからない。それは素晴らしいことと思えばいいんだね。

今回はローマの休日オマージュで純子が令和でひとときの夢を見る。それをセッティングした渚と心配なはずなのに見守ったゆずるは、もしかして純子の思い残しを叶えてやってるのかな。故人の夢を叶えることで、生き残った人々の心残りも消えるのかもしれない。

いつだって死の本当は遺された者にはわからない。そもそも本人が納得する死なんてあるんだろうか。だからこそ死への納得は生き残った者への大きな課題であり、弔いがある。私はまだ死んだことがないけど、自分が死んだ後で誰かが私の死を事実と違う解釈をしたって構わない。それがその人の納得や癒しに繋がるのであれば。

タイムスリップの形を借りて、生きている者たちの心残りを亡くなった本人が癒してゆく。生前の本人の不適切な言動すら今となっては愛おしい。それは不適切の肯定ではない。生きていれば適切寄りに変わる未来もあったのかもしれない。でも生前の不適切なご本人を否定するものでもない。その淡いの部分をどう取るかで評価が変わるんだろな。

いやぁこんなに生と死の繋がりについて、このドラマで考えることになるとは思わなかった。