初霜や筆の覚えてゐる住所

asazutaiga
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最近、手紙をもらった。なので、手紙を書こうという意識が芽生えた。手紙は楽しいのでよい。

街に出ると、意外なほどにポストカードやレターセット、カード類が売られている。クリスマス前というのもあるかもしれない。また、私自身の意識が変わったことが一番大きいのだろう。手紙を送る人はまだまだ世の中に存在するし、郵便もインフラとしての役割を終えてはいない。

住所を筆が覚えているという主題で書いては見たものの、実際のところ、もらった手紙に書かれた差出人住所を見ながら写していることが多い。その写経のような静謐さも好もしいが、一方で、何度もやり取りするうちに指が、あるいは筆が覚えてくれたほうが、なんか良いなあという感じはする。(なお、こちらの住所は2年ほどのスパンでころころ変わっている。失敬。)

記憶に何かを定着させるのはあまり得意ではない。昔は漢字の書き取りもたくさんやったし、ノートもたくさん取って、受験はなんとかなった。しかし生来怠け者であるので、俳句を丁寧に写していくような試みはだいたい失敗に終わっており、記憶できている俳句の数は実に乏しい。無念である。

俳句を覚える一番の方法は、他人にその俳句の面白さを説明することであるかもしれない。それも何度も。最近人に教えた句は、覚えた。室生犀星の「鯛の骨たたみにひらふ夜寒かな」である。良い句だなあとしみじみ。

ぽつぽつと書いてまとまりのない文章になってしまった。まあ、こんな日もあって良い。(こんな日ばかりである。)