Apple社がポータブルの音楽プレイヤーである「iPod」を販売していた頃に、公式サイトで「iPod nano」を買う時に刻印サービスを使ったことがある。自分のものだと識別するための文字入れとして、何を刻むか。選択した青く細長い形の本体を見ながら、数分考えた後に私が選択した言葉は、これだった。「大切なものは、目に見えない」
多少格好をつけて「L'essentiel est invisible pour les yeux.」などと、原文のフランス語で流し込まれたそれは、有名過ぎる児童書の中で出てくる一文だ。(人によっては、ゲームの登場人物である少年が愛読していた本の中の、彼の好きな言葉という認識かもしれない。私も彼のことは存じ上げている)「物」として目にする事実に拘泥しすぎると、その本質の重要な部分を取りこぼしてしまうかもしれないよ、というニュアンスの言葉である。それは、その本を最初に読んだ時に「帽子に見える、象を飲んだうわばみの絵」の次くらいに記憶に残ったものだった。「目に見えない」ものを心の目で「見る」ことはとても難しく、見る対象に向けての丁寧さ真剣さ、一種の「愛」と呼ばれるものを求められるような気がしたからだ。
きっと目に見えない「たいせつ」なんて、人の数ほど、いや、星の数ほど正解があるだろう。自分や誰かにとっての「たいせつ」にたどり着けるということは、考え抜いて、心で感じ取って、またたく夜空に輝く星の光をひとつ掴み取れたようなことだ。途方もない。それでも、その光を見つけて大切にしようとすることは、一種の愛情なのではないだろうか。
さて、刻印をするにあたって、名言や格言を刻むとなると、それが座右の銘であったり好きな言葉である事が多いと思う。もちろん、印象的で忘れがたい言葉の一つであるからこそのチョイスではあったが、当時の私があえてこれを選んだ理由は別に存在していた。
ただの冗談である。
ここまでの文章を全てゴミ箱に捨てるような事を言ってしまった。そう、当時の自分が面白いと思ってやった、そこまで面白くない冗談なのである。
音楽というものは、実際に奏でられた状態では「目に見えない」感じたことを「大切にする」芸術である。音楽プレイヤーに詰め込まれる楽曲は「日々を共に過ごす大切なものだけれど、目には見えない」ものだから、言葉を刻むとするのならばこれが適切で、少しユーモアがあるのではないかと思ったのだ。青い「iPod nano」(デバイス認証で名前をCattleyaにしていた)は、寿命をまっとうするまで、目には見えない音楽を連れて日々私と共に歩いてくれた。
刻印の注文時にうっかりコピペミスをしてしまい「L」の文字がダブって届いた彼は、それを隠すような配置でネイルシールのモルフォ蝶などでデコレーションされた状態で過ごしていた。本当は「L'essentiel est invisible pour les yeux.」ならぬ「LL'essentiel est invisible pour les yeux.」である刻印は「L」をそっと抱えている。その「L」は、音楽に対する「Love」かもしれないし、己の迂闊さに対する「Laugh」かもしれない。
そう、見ただけでは気付けないこともある。目に見えない本質は、確かにそこに存在していた。