クレームブリュレのクレープ

浅葱
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 そこにあることは知っていたが、一度も入ったことがない店だった。最初に見つけた時も、他の用事で出向いた時に偶然看板が視界に入っただけ。「ああ、こんなところにあるんだな。いつの間に」などと思ったのが、数ヶ月前のこと。それが、そのクレープ屋だった。

 お店の規模はそう大きくない。イートインスペースにはテーブルが3つ。店員はひとり。販売はテイクアウトが中心なのだろう。Uber Eatsにも登録されていて、頼めばデリバリーもやってくれるそうだ。とても現代的と言えるだろう。商品も、販売形態も。(調べたところ、コロナ禍のど真ん中にオープンしている店だった。現代的で当たり前だ)

 ショーケースにはクリームを挟んだドーナツが並んでおり、こちらもクレープ以外の売りなのかもしれない。(確か、ハワイのお菓子だ。マサラダという名前だったろうか?)少しだけすました顔で並んでいるドーナツのフレーバーを一つずつ確認しながら、私は注文の品が出てくるのを待った。

 控え目な音量で流れている有線の邦楽と、店員の女性が作業をしている音以外、人の気配が感じられない空間だった。清潔感があり、明るく、それでいて、どこかひっそりとしている。深夜のコンビニの明かりや、夜明け直前の冬の住宅街の雰囲気に似ている気がした。

 まあ、それはそうだろう。だって、夕飯時も近い11月の冷え込む夜だ。こんな時にクレープ屋のドアをくぐって、しかもイートインスペースに腰を下ろす人間なんてそうは居ない。変な客だ。自覚はある。けれども、約束よりも30分以上前に到着してしまった人間が、余剰分の時間を丁寧に消費する手段として「これ」を思いついてしまったのだから、仕方がない。

「そういえば、せっかくだし、近くにあったあの店のクレープが食べてみたい」

 ちょっとした好奇心と軽めの空腹を満たし、持て余した時間を消化する、冴えた方法。ちょっぴりのさみしさや悲しさも同席した、クリームの表面をキャラメリゼしたシンプルなクレープ。バーナーであぶられたブリュレ部分は、水たまりの表面の氷のように薄くてもろい。かすかなほろ苦さと、カスタードクリームのまったりとなめらかな甘さ。しっとりとした生地は上品だった。

 注文をして食べ終わるまでの間に、他の客は一人も顔を出さなかった。やはりこれは、深夜のコンビニに似ているな、などと思った。少しいけないことをした気分までそっくりである。

 11月のクレープ。夕飯時のクレープ。大人が真面目な顔でスマートフォンで時間とメール文面を確認しながら無言で食べた、甘いお菓子。

 店から出て最初に目に入ったのは、輪郭のくっきりとした三日月だった。

@asg
徒然なるままに、の、スタンスで。