芥川賞 「東京都同情塔」は文章生成AIへの理解の解像度が高い

芥川賞を取った九段理江さんの「東京都同情塔」を読んだ。

「ChatGPTなど駆使」「5%は生成AIの文章そのまま」というところだけが取り上げられて批判されたりもしているので、ともかくどんな内容か興味を持ったのだ。

作中「AI-built」という「文章構築AI」を登場人物たちがパソコンで利用している。近未来の話だが、彼女たちは未来的なデバイスを使ったりはしていない。

ChatGPTなどを「文章生成AI」と呼ぶのが一般的で、「文章構築AI」という言い方はあまりしない。これは作者の考えた呼び方で、考え抜いた上での名称であり、ある意味蔑称なのだろう。作中で主人公が「シンパシータワートーキョー」を「東京都同情塔」と呼んだように。

主人公の女性建築家が語る以下の言葉が、作者が文章生成AIに対して感じていることなのだと想像する。

訊いてもいないことを勝手に説明し始めるマンスプレイニング気質が、彼の嫌いなところだ。スマートでポライトな体裁を取り繕うのが得意なのは、実際には致命的な文盲であるという欠点を隠すためなのだろう。いくら学習能力が高かろうと、AIには己の弱さに向き合う強さがない。無傷で言葉を盗むことに慣れきって、その無知を疑いもせず恥じもしない。

文章生成AIを理解する上で、「文盲」というキーワードを使うのは鋭いと思った。こんな短い言葉で文章生成AIの本質をとらえていることに感心した。さすが文章のプロである小説家だ。

文章生成AIは文章の意味なんて理解していない。AI=人工知能だけど、知能なんか持っていない。知能があって文章の意味を理解しているように見えるだけ。なので「文盲」は言い得て妙だ。でも、じゃあ人間であるあなたは文章の意味を本当に理解しているの? そんなことを考えさせられるのが、技術書じゃなく小説としてこのことが語られる良さなのだろう。

ちなみに、文章生成AI=「文盲」のように、画像生成AIをあらわすキーワードはなんだろう。「画力0」かな。

そしてなぜか僕は、文章構築AIに対しての憐みのようなものを覚えていた。かわいそうだ、と思っていた。他人の言葉を継ぎ接ぎしてつくる文章が何を意味し、誰に伝わっているかも知らないまま、お仕着せの文字をひたすら並べ続けなければいけない人生というのは、とても空虚で苦しいものなんじゃないかと同情したのだ。

主人公の女性建築家と対比される存在である美形の若い男性の言葉だ。これも文章生成AIのことをうまく説明している。他人の文章をツギハギしてるだけで、それがどういう意味かは理解していない文章生成AI。しかし、それだけで終わらずに「誰に伝わっているかも知らない」と続けているところがさすがだ。

そんなわけで、作者の文章生成AIへの理解の解像度が高いと感心したんだけど、小説全体に関しては、大絶賛するには至らなかった。事前に絶賛のレビューを読んでしまったので、勝手にハードルが上がってしまっていたのかもしれない。

予告編を見てこれはおもしろそうだと映画を見たら、全てのいいシーンが予告編に凝縮されていたケースと似ている印象。なので、これから読むという人は、あまり事前情報を入れずに読んだ方がいいかもしれない。

わたしは読んでいて村上春樹っぽさを感じた。読み進めながら作者が女性であることを意識してしまうことが多かったけど、それが悪いことかどうかはわからない。

ともかく、文章生成AIを語る新しいワードを得られたし、こうやってネタにもできたので、読んで良かったと思います。

@ashikaga
デジタル活用のポッドキャスト「アシカガCAST」をやっています。ふだんはデジタルツール/Webサービス/アプリの使い方などの情報発信をしています。 @ashikagacast