旧Twitterのコミュニティノートで「出羽の守は筑紫哲也さんが初めにつかった言葉ではない」と来て、それはそうだけど論点そこかなぁというのと、じゃあそれはどこで使われるようになったのかなぁとぼんやり思ったのでメモ書き。
ちなみに該当のツイートはこちらです。
最近、おそらく今年に入ってから、国立国会図書館のサイトがリニューアルされまして、書籍の検索などが強化されました。その強化された事の一つに、過去の書籍を全文検索できるようになりまして、では早速「出羽の守」で検索をかけてみます。期間指定もできまして、とりあえず1950年〜1990年指定して検索をして探してみます。あまり古すぎると陸奥出羽の守だけになってしまいます。背景情報のツイートのリンクと範囲指定と単語(ひらがなと漢字)が違いますが、やってることはほぼ同じです。
当然のことながら、昔になればなるほど陸奥出羽の守やら千姫の話とかが出てきます。ページ送りをしてじわじわと表示している書籍を現代に持っていき、出羽の守り論法的に使われている部分がないか探します。ぱっと出てきたのは「住民と自治 = Jumin to jichi monthly (4) 自治体問題研究所 編 (自治体研究社, 1969-04)」にある【8 コマ: 貧富の差と差別最近「出羽の守」という言葉がよくいわれます。ちょっと外国へ行ってくると、「どこそこデハ······」「あちらデ】という部分です。都合上、全文引き出しには国立国会図書館までいかないと無理そうなので、引用的に表示されている分章だけで判断をします。それで、この少ない文章ですが、どうにもこれは出羽の守りの説明っぽいです。
1950年からの書籍で探した感じですと、どうやら 1969年には使われはじめられていた様子です。
次にある書籍は「現代の眼 18(10) (現代評論社, 1977-10)」です。割と見逃す人なので、自身ないです。見逃してなければ。それには二箇所に書かれているそうです。
150 コマ: そういうレトリックを出羽の守型評論というのだそうですが、この表現からもわかるとおり、最近はそういう論調の正当性がやや怪しくな
152 コマ: 奨しているわけです。出羽の守型評論の典型といってよいでしょうが、本当にそう考えるべきなのでしょうか。先頃、私はロンドンに一〇
出羽の守り型評論と書かれており、明らかに出羽の守りの説明ですね。これにより「出羽の守り論法が周りで言われ始めた」とあるのが1977年なので、それ以前から言葉があったのは確実です。
そんなわけで、誰が言い出したかはわかりませんが、筑紫哲也さんに限らず、新聞や現代評論社の本や雑誌を読んでいる人は知ってるんだろねぇという言葉でした。
それにしても、国立国会図書館が便利になりました。