Rё∀L

 

私はオタクを名乗っているが、アニメにせよゲームにせよ、音楽にせよ案外守備範囲が狭い。まあ確かに私はオタクの振る舞いをしているけど、その実悪い意味でオタクではないのだろう。オタクと名乗れるほどのものではないという意味で。私とは所詮その程度である。浅く狭い知識しかない。

 

そう、そんな前書きを垂れ書いた所で、タイトルはギルティクラウンのサントラの一曲から。

ギルティクラウンを一切見ていないし、話も知らないが何故かサントラに入ってるこの一曲だけ知っている。澤野弘之っていいですよね。プロメアもだいぶ劇伴がよかった。

ふと仕事中にこの曲を思い出して、なんとなくリピート再生にしていた(作業してる時に曲が変わると、集中力が切れがちだから)

 

どうしても「濱口竜介の映画を見るとあのお兄さんのことを思い出すな」とか、「シドの妄想日記を聞くとしようもない喧嘩をしてそのままになった友人を思い出すな」とそういう一方的なとりとめもない感慨とか感傷じみたものは、多分どうしても存在する。

かの川端康成が「別れる男には花の名前を一つ教えておけ」と言ったとされているけど、多分曲や本、あるいは映画などの娯楽に同じことが言えるのではないかと思う。

斯様にして特異的に知っている曲なんて大抵ろくでもない記憶が付き纏う。

 

中学の同級生がいた。彼は異性ではあったが、友人と呼んでもいいだろう。逆に言うとそれ以上でもそれ以下にもならなかったし、今後また彼と再会してもどうにもなりようがないだろう。そんな楽観的な予測すらつけられる穏当な関係である。

彼とは部活が同じだった。全員強制加入の部活の上、やたら女ばかりの部活で肩身が狭かったであろう彼と私、あと他に一人か二人で大体つるんでいた。

 

確か二十歳頃だっただろうか。彼に海まで乗せていってもらったことがある。もう一人異性の中学校の同級生も一緒だった。その頃の私は、免許を取った割にはペーパードライバーで、電車の乗り換えと他人の助手席に乗ることばかりが上手くなっていく過程の季節にいた。

海辺の町で一頻り遊んで、家路を急ぐ途中のことだった。晩秋の夕暮れは早く、日が傾きかけていた。ちょうど、私が幼い頃住んでいた街を走るバイパスの、数少ない信号に引っかかった時だった。

彼は今まで適当に流していたCDに飽きたのか、ディスクを変えた。私は別に何も考えずにその手元を見ていた。そうして流れ出した曲もさほどピンとこなくて私は赤信号を眺めていた。その間も、彼は忙しなくボタンに触れていた。そしてあるところで彼の指が止まる。特徴的なイントロがカーステレオから流れ出す。私もはた、とカーステレオへ目を向けた。

 

何の曲かと私が尋ねると、彼は「ギルティクラウン」と簡潔に答えた。アニメかゲームか、はたまた映画かもわからないタイトルが出てきた時点で私は興味を無くし、どうでもよさそうな相槌を打った。すると、彼は片方の口端をまるで自嘲気味に釣り上げて嗤って続けた。

「『アイツ』もギルティクラウン知ってて、中学の時部活でちょっと盛り上がったんだよな」

と。『アイツ』とは彼が中学生当時好きだった女の子のことである。同級生だったし、部活も同じだったので当然私はその子のことを知っていた。更に言えば、彼の思慕の宛先も私は中学生当時からなんとなく勘づいてはいた。ほぼ公然の秘密と言ってよかったし「ああ、お前そういうタイプなのね」くらいの感慨しか持ち合わせなかった。  

その内訳が事実として確定したのは中学を卒業して暫く経ってからのことだった。たまたま、地元の駅かどこかでばったりと出くわして世間話でもしているときのことだった。話はそれなりに盛り上がって、佳境を迎える頃彼はいかにも探ってほしそうにしていた。だから私は「そうなのだろう」と淀みなく言い当ててみせた。すると、彼は「正解」と今と全く同じ笑い方をしながら答えた。そこに特段驚きはなかった。簡単な計算の答え合わせをするような気分で、私の中では事実確認でしかなかった。

 

しかし、今はどうだ。ただの回顧とその一言から彼の思慕とその情念を感じ取らざるを得なかった。今、彼がその相手にどう思っているのか正確なところは計り知れない。流石に中学生当時と同じ鮮やかさを以てして熱情を描けやしないだろうが、厄介な火種のように燻っては消えきらないものなのだろうと、凡そ察してとれた。

十五歳の私は今よりも軽く10倍は血の気が多く、周囲の人間は遍く馬鹿な敵だと思っていた。人間関係の損得勘定ばかりが早く、一つでも弱味を見せたら終わると思っていた傲慢で姑息な子供風情が、他人を慕うことなど知るはずもないのだ。いかにも、自尊心と自意識の塊でしかないのだから!

それから更に五年が経って、私は二十歳になってここにいた。しかし未だ、私は他者へ心を預ける術も知らぬまま、のらりくらりと他人、或いはその思慕を華麗に躱し続けていた。

それだけに彼のただの一言は重く私にのしかかった。勝ち気と焦燥、肯定と後悔、全能感と陶酔。そして莫大な優越感を追い越そうと一滴分の悔しさが膨大に膨れ上がっていく。それぞれ全てが矛盾した感傷が私を取り巻いた。

ただ一つだけ、ああそうか、この人は真っ当に人に恋をしたことがあるのだ、と引け目を感じたのを覚えている。

 

ざらついた感触ばかりが喉に張り付いたまま飲み込めずにいると、後部座席に座っていたもう一人の友人が「いつまでもウジウジウジウジ、バッカじゃねえの」と吐き捨てた。まあ大概暴言だったけど、私はその声で白昼夢じみた回顧から現実に戻って手軽に少し救われる私は変われやしない。

そうして夕飯はどうするかという話になったから、腹いせに「回転寿司がいい」と答えた後で「お前、寿司奢れよ」と冗談めかして言うと「えー……」と微妙な返事をされた。

しかし結局、それ以上のダダを捏ねずとも私の要求は一から十まですべて通った。国道沿いのチェーンの回転寿司屋で一貫ネタばかりを頼み、たらふくデザートを食ったくせに会計は持たなくていいと言われて、先に店の外に出て国道の往来を見ていた。全く図々しい話だが、あの時分はそれがまかり通っていたのだ。

  

私は宛先も理由も判然としない感傷を携えたまま、駐車場で排ガスと冬の香が交じる風に吹かれていた。

なんだよそれ、と言ってしまいたかった。これは決して恋慕ではない。ただ自分の欠落を目の前にまざまざと突きつけられたような心地がして面白くなかった。

私はいかなる時も素面でいたいのだと自分に願っただけに過ぎない。そして私は私の願いに忠実にここまできた、ただそれだけだった。なのに不甲斐なさとか情けなさに駆られて身動きが取れなくなった。

そして私はあの宵の口のことを飲み下せないまま、未だに国道沿いの駐車場に縛られている。

 

Rё∀Lは今、Spotifyの「サントラ」という名のプレイリストの一角を飾っている。曲は嫌いではなかった。「何の曲?」と聞いたのがなによりその証左だろう。

あれから私は少々力づくで性愛の表面をそれとなく撫でて掬いとってやろうと試みたが、性愛の何たるかを理解するのには遠く及ばなかった。故に、仮にも恋愛を主とした夢小説というジャンルの中で、よくもまああんなデタラメな話を書いていられるものだと、最近はむしろ自分に感心せざるを得ない。

多分私は二十歳の頃よりも色んなものを許せるようになった。だけどそれを上回るスピードで、時とそれに連なる事象は私を追い立てては煽って去っていく。その度に私はあの時と似た引け目ばかりを覚えている。

本当は私などがこんな曲を覚えているべきではないだろうに。きっと、あの子に覚えていてほしかっただろうにね。ろくでもない記憶なんてラベリングされて消費されるよりも、先に。