労せず原稿に取り掛かる――私を動かすケチの波動

辺岡
·
公開:2025/8/24

( ◜ω◝ )

ケチなのである。

時間もお金も何もかも足りない。インプットもアウトプットもしたいし、無駄なものは極力やりたくない。そんなことはどだい無理である。

というわけで、最近は原稿をしながらAudibleを聴き倒している。 月額制なので聞けば聞くほどお得だ。 かといって、カスの内容を何時間も苦痛にさいなまれながら聞くのは無意味なので、今も色褪せないレガシーな本から読む――となると1960年代からあるから、さすがに更新してくれよとも思う。 併読、多読をしていると、ある著者のみが提唱するセンセーショナルなメソッドよりも、どの本でも言われていることが正しく普遍的であることがわかる。 新しいカスの本は内容が薄く、古典を薄めて言い換えただけに過ぎない。 結局古典で言われてたな、という、薄めに薄められた透明なカルピスのような新書が多すぎるのだ。

新しめのものでは行動経済学や行動心理学の本を読んでいるんだけど、 何事も仕組み化であって、「やる気」とか「頑張る」とか「気をつける」じゃないんだ、ということがトレンドであるのを感じる。 「ついやっちゃうことはやりにくく」 「やる気の出ないことは、やる気以外のやりにくい要素を全部排除」 「やる気がなくても条件が揃ったら必ずやる」の三軸なんだな。

人を動かしやすく動機づけたりする操作を、とくに行動経済学において『ナッジ』と呼ぶそうだ。

ナッジとは、 「つい、自然にやってしまう」ように環境をデザインすることを指す。

たとえば、店の入口に特売品を置けば、手に取る人が増え、店の奥に存在する会計までは歩かされ、その通路にあるお菓子や家の在庫のトイレットペーパーが足りていたかを思い出させられる。社員食堂の水を一番取りやすい位置に置けば、無意識にジュースより水を選ぶ人が増えるかもしれない。 人の行動は合理的な判断よりも「目の前にある環境」によって決まることが多い。だからこそ、仕組みづくりが大事になる――というようなものらしい。

このナッジという言葉自体はつい最近まで知らなかったが、極端にいえばテレビをダラダラ見てしまう人はコンセントを抜く、あるいはテレビごと捨てたり売ってしまうというものもかなり昔から聞いたことがあった。

私のしているナッジと呼べそうなものといえば、

  1. 決まった条件で必ず発動させるナッジ 21時に子供を消灯させてから即原稿に取りかかる。(時間での強制スイッチ) 子供の側も、21時以降は対応してもらえないのを知っているため、20時台になると慌ただしく歯磨きアプリ(ポケモンスマイル)をやりたいからタブレットを貸してとか、親に対しての依頼をなんとか終えようとする。

  2. ご褒美を与える 子供へのナッジも実施している。たとえば漢検の過去問をやったら試験時間相当ゲームしていい。(低級なら40分、上級になると60分) 解き終わって、合格点に届かなかったら間違えた漢字を練習しなければならないので、見直した方が得。ただし、書き取り練習も1ページごとに10分ゲームができるため単純な罰ではない。 ※ただし、このご褒美のナッジは買いたければ買えるし遊びたければ遊べてしまう、監督者のいない大人にはかなり難しいと思った。

  3. やらなくていいこと、やるべきでないことは徹底的に面倒にする 現金は小銭に崩したくないから使わない。貯金箱は缶切りを使わないと開けられないなど。

結局、人間は“やる気”じゃなく“環境”に動かされる。だから環境をいじる=自分を操縦する一番の方法だというのはとても強く感じる。

全てが順調かというと、悪いナッジもあって――2時間ごとに体力が満タンになるスマホゲームにまんまとハマっている。 2時間おきに起動して消費しないと、「損」な気がするのだ。 やめたいけどやめられない。

ケチなのに、ケチ心理を利用されて時間を浪費させられているのであった。 くやしい。

@ataoka
XとBlueskyにいます。漫画が不調になると小説を書いたり、料理をしたり、いい感じにるまでフラフラしています。