小説の校正を人に頼もうかと考え始めている - 作品の感想を金で買う日

辺岡
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漫画が描けなくなって数ヶ月が経った。

原因として思い当たる節ははっきりとあるものの、これまでも何度か描けなくなったり、飽きたりしたことはあっても、ついに完全に筆を折ることはないまま今日に至る。だから、二度と描かないぞという自分の気持ちに対して信用度は低く、どうせまた突然しれっと復活する可能性の方が圧倒的に高い。そう思うと「これのせいでスランプになった」とか「二度と描きません」と宣言することは得策ではないので、忘れてしまうまであとまわしにしようと思う。

私はプライドが高い。できるだけ発言を撤回したくないと思って生きている(もちろん、旧態依然とした意見を捨てたほうが『柔軟でカッコイイ』場合には、その限りではないが)。

ところで、描けない複合的な理由のうちのひとつは体調面の問題から来るもので、より身体に負担をかけない方法でなら創作を続けたいという気持ちもあった。また、すでに手を挙げてしまった漫画を寄稿する約束もあった。

そこで、度々別名義で公開していた掌編を下敷きに、漫画を描く際にプロットを立てていた程度の散文をもう少していねいに書き足して、地の文を整えたものを代わりに提出させていただいた。小説の原稿を印刷用に提出するのは初めてだったため、予め普段から文章を書いている人たちに見てもらい、字下げや禁則のルールなどたくさんのアドバイスと指摘をいただいた。慣れないことをしたせいか、当初の予定とはページ数も何もかも変わってしまったし、とくに奇数ページとなってしまったので同人誌の構成上ご面倒をおかけしてしまったと思うが、とにかくまるきり穴をあけずに済んだことだけはほっとした。

この校正を頼んだ際に、「くれぐれも感想は必要ない」と明言した。あくまで、誤字や読みづらさや、ストーリー上の破綻だけを知りたい。感想を貰うのは怖い。もし、思った通りのストーリー展開が分かりづらく、伏線が伝わっていなかったらどうしよう。オチを誤解されていたらどうしよう。そうなってしまっても、「いえ、あなたの読み方が間違っています。ここはこういう意味です」と訂正する勇気はない。なにしろ私はプライドが高い。

(ただし、実際に感想で傷ついたことがあるわけではなく、貰ったらどうしようという予期不安でしかない)

一度掌編を提出してしまうと、なんとなくルールさえ学べば自分にもそれなりの文章作品が書けるような気がしてきた。そして2冊だけ“小説のつくりかた”についての本を買うと、ダラダラと続けていたソシャゲの代わりに、寝る前の時間をスマホで小説を書くことに充ててみた。

1日あたり8000文字、3晩ぶっ通しで書いた。書きすぎ。

こうなると知人だからといって人に読ませるのには気が引ける量で、しかも絶対に誤字はある。それで校正を有償で請けている人を探したところ、いた。インターネットにはなんでもある。私はインターネットが大好きだ。

校正を請けているというその人は、作品に対して感想を寄せるサービスも行っていた。以前は金を払って感想をもらうなんて......と思っていたが、それは有償でわざわざ傷つくのもいやだし、かといって金の力で忖度された褒め言葉を受け取るのは耐えられないと思ったからだ。私はプライドが高い。まれに感想を寄せてもらえても、友達だからだとか、原作の魅力が高いからで二次創作をやっている自分が驕るところじゃないとか、理由をつけて素直に受け取れない捻くれた人間だ。でも、原作を知らない赤の他人からの感想なら、まだ印刷していない修正できる原稿なら、読んでもらいたいような気がした。

以前一度だけ、漫画を出張編集部に持っていった時のことが思い出された。そのときの感想もフラットに受け取ることができた。そこには事務的な態度と、作品をより良くするためにはどうしたらいいかというシステムの話しかなかったから。

私は「こんなお話で、素敵で、大好きです」と言ってくれる人に、本当はそんなつもりのお話じゃなかったと夢を壊すのが嫌で感想を聞くのが怖かったのかもしれない。

@ataoka
XとBlueskyにいます。漫画が不調になると小説を書いたり、料理をしたり、いい感じにるまでフラフラしています。