やらない子育て――究極的ズボラの私が母になって得た『マネジメント力』

辺岡(あたおか)
·
公開:2026/3/15

私は、子供に朝食を作らない。子供の荷物を持たない。なんなら歯も磨かない。

なぜなら、これは親(私)が必ずしもやらなくてはならないことではないから。

私は、子供についての全ての責任は持ちたくはない。

それだけ聞くと、なんて育児放棄(ネグレクト)的なんだろうと思うかもしれない。

でも、私と子供の関係は、わりとうまくいっていると思う。

ここは視点の違いだから、一旦どちらが正しいかは置いておいて、私の行っていることと行わないことをそれぞれ挙げていこう。

やらないこと

子供の荷物を持たない

子供が歩けるようになる頃、背負わせるためのクッションがある。

人間の後頭部はもっとも危険な急所のひとつだ。にもかかわらず、人間は他の生物と比べて、生まれた時から飛び抜けて頭が重い。だからクッションで保護しよう、というわけだ。

しかし与えたのはクッションではなく、同じくらい柔らかくて、もっと可愛いクマのリュックを背負わせることだった。

リュックを背負っていても歩くのが難なくなると、まず中にハンカチ(よだれふき)を入れた。

次に、それも問題ないとわかると、おむつとゴミ袋を1枚ずつ入れた。

そして次には、おやつを入れた。

そうして子供が成長するのを見計らっては、私の荷物は減っていった。

私は子供がどこかへ走り去らないよう見守るだけでよくなった。 そのおむつやおやつが足りなくなるまでには家へ帰るのだ。 おやつがなくなれば子供は、家へ帰らないとおやつがないことは理解できなくても、家へ帰ればおやつがあることは言われれば理解する。

だから帰宅を促すのも比較的容易になった。

お出かけの範囲は、子供の限界までなのである。

朝食作りをしない

まず、朝食を毎朝違うものを作るのをやめた。

おかずやスープやいろいろと用意することもしなかった。 好き嫌いや体調でスケジュールが変わるのがいやだった。

かわりに、毎朝同じメニューにした。

  1. パンとヨーグルトとジュース

  2. グラノーラと、ヨーグルトかバニラアイス、たまに冷凍のミックスフルーツ

放っておけばカビてしまいがちなパンを除けば、これらは保存期間が長く、取り出すだけで良かった。

また、朝早く起きた時だけ食べられる多めの糖分は子供をよく目覚めさせた。(帰宅後は基本的に甘味を食べない。デザートとして出す場合も、夕飯を食べ終わるまで食べてはいけない。)

子供が4歳か5歳になるころだろうか、魚焼きグリルを見せた。そして、食パンを1枚入れ、火をつけさせ、タイマーを標準の10からパンのための3分に下げることを教えた。 万が一これを忘れても10分で、火事にはならない。黒焦げのパンができるだけだ。※火をつけるときは基本的にそばにいる。 食パンの袋は自分でバッグクロージャーをしめさせる。

弟が生まれる頃には、「2枚焼いて」と頼み、私が食べるか、まだ自分ではできない弟に食べさせながら「ねえね(にいに)が焼いてくれたよ」と言って年少から礼を述べさせた。下の子はよく上の子へ憧れ、早く自分でもやってみたい、と言うようになった。

これは歳が繰り上がるにつれ、次子が三子にも行い、いまは三子が自分のために焼くことを覚えたところだ。

子供たちはいま、「今日は寒いからトースト」「今日はアイスの気分だから、グラノーラ」「パンにミックスベリーをのせてから焼いてもいい?」など、許可された範囲で、自分の朝食を組み立てている。

子供の支度をしない

保育園に行くようになってから、私は保育園の支度を非常に嫌っていた。

漏れがあれば親のせいで、しかも毎日のことなので、逐一配偶者と私とでダブルチェックをしよう、というのも憚られた。

本音をいえば――なんでこんなことを毎日私がしなければならないのか。そもそも、自分の仕事の支度も苦手なのに。

だから、子供にさせることにした。 しかし子供にミスがあれば私のせいになる。当然である。親は責任者で、監督者だ。

「私がやったことじゃないのに、私が怒られるのか…」

未熟な私はそう思って、子供にまず支度をさせ、できたらチェックに持ってこさせ、目の前で一緒に確認することにした。

帰宅してからも水筒を自分で出させることにした。

体温は非接触式で瞬時にわかるため自分ではかるところまでさせ、はじめは私が結果を聞いて書いていた。これで測り忘れはなくなった。

最近は字を書けるように買った子供が自分で書くこともある。また、私が水筒の中身を入れる必要性があることを、「ママ、水筒まだ?」と差し戻してくれる。

子ども自身でもチェックできるよう、チェックリストとして玄関にマグネットが貼ってあるが、これは補助的なもので、やはり強力なのは互いに見張っているやわらかな緊張感だというのを感じている。マグネットは声掛けまではしてくれないのだ。

子供の歯を磨かない

余談だが、私が子供の歯について行うのは仕上げ磨きと歯医者へのつきそいだけだ。

いまはずいぶん楽な時代になって、すくなくとも何分間、あるいは何秒ずつどこを磨こうというアプリも出ている。 (ポケモンの歯磨きアプリもある) ながら磨きでありながら、歯に集中してくれるゲーミフィケーション。ありがたい。 私が子供の頃に欲しかったな。

なんなら、自分の歯も磨かないまま寝落ちしてしまうこともある私に、子供は

「ママ、はやく歯磨いて“歯磨き飴”(キシリトールの歯磨き後に食べられる甘味料)食べたら?」

というのだった。

すべての責任を渡さない、信じない

夫がよく、風呂に入りたがらない(※テレビもう少し見てたいだけ)子供に、

「パパ先入っちゃうよ」といい、一人で風呂に入り、出て、「なんで来ないの、約束したのに!」ということがあった。

でも、子供は「入ろう」のリマインドする人がいなくなっちゃうから「あとちょっとだけ」で次もテレビを見ちゃうんだよね。

そんなことが何ヶ月も続いて「いつも来ないじゃん」と言うのを見ていた。

ちがくて、一緒に入らないと、あるいは入るところを見届けないとダメなんよ…

「○時になったら」は何も嬉しくなくて、出てからうれしいことを与えながら、一緒に入って、入ってる時にお風呂よりさらに楽しいこと(はやく全部洗って出たら寝るまでtiktokを見ていいとか)をあたえて、わんこそばのように「次のことをやると、いいことがある!」を与えないと。

そんなことを横目で見ていて、とうとう口に出した。なぜなら、私自身もこのことに気づくまで、同じ苛立ちと叱責を上の子の時は私も行っていたから。夫への批判ではなく、子供が必要以上の叱責を受けないように。

長子などは入るけど中でただぼーっとしていてから出てくるだけだったし、次子は髪を濡らしただけで出てくるので頭が臭い、という事があった。

「やれ」というだけで人は動かない。やりたくない、面倒くさい、怖い、痛い、下手、やっても怒られる――など理由は多岐にわたるため原因まで掘るのは難しいこともあるが、すくなくとも見届けることはできる。

それは監視ではないのだ。

子供の頃にされて嫌だったことをしない

とても難しいことだから、本記事では詳しくは述べない。ただ心に留めておきたいと思う。

やること

約束を守る、必ず。絶対に。

AプランとBプランを用意する。

たとえば、保育園のお手紙には「雨が降ったら遠足はなしで、室内でお弁当を食べる」と書いてある。

子供の世界は狭い。大人のようにいろいろなパターンを経験したことがあって「雨なら当然屋外で行うものはリスケだろう」というような予測を、期待という名前で、大人の事情の押しつけをしてはならない。

「雨が降ったら濡れちゃうから、遠足は別の日にしよう。でも、お弁当はお部屋で食べられるよ」

「パンを買いに行こう。でも、おいしすぎて売り切れてたら、うどんを買おう。」

そのうちに子供も自らB案を発想するようになる。

理解度が低いわけでは決してないのだ。

大人がやるべき事は、「でも、もう疲れちゃったんだからやめとこう」とか、「お金がないから今日はダメ」とか、大人の事情を押し付けないこと。

それより、「次の誕生日に行こう」とか、「早起きを10回したらいいよ」とか、確実なものを渡して欲しいのである。

――これはかつて私が子供だった時に「いい子の元にしかサンタは来ない」と言われたのがどれほど曖昧で嫌だったか、の言語化でもあるが。

つけくわえると、「泣けばなんとかなる」と覚えて欲しくないのもある。これを小さい頃に散々覚えていた私は、大人になってからだいぶ苦労した。

そのことで、泣けば買ってくれる、甘かった祖母を恨みさえした。

確認と承認。最終責任者になる

ここまで、わたしの「やらない」とは『親が全てを担わない、すなわち子どものことは子ども自身にさせる』ということを書いてきた。

そして、それは私にミニマムな作業者と責任者の関係性を経験させてくれた。

これまでは、たとえば労働において、

「なぜ作業者のことを責任者はこまかく見るのだろう、なにも現場を知らないくせに」

「なぜ作業者は責任者の言うことをきかず、隠れてサボるのだろう」

と、分断された関係性でしか捉えていなかった。

しかし、子どもに子ども自身についての作業をおこなわせることで、さまざまな利点や問題点、整えるべき環境が見えてきた。

人間はサボる。大人もそうだし、子供だって同じだ。ズルをすることもある。忘れることもある。

だから、チェックとしてよく起こる問題の部分を丁寧に見ていく人が要る。

そして、それが責任を持つことだとわかったとき、「責任とは、意外と悪いものではない」と思った。

いままでは、責任者とは報酬に対してサボっているか、怒られながら尻拭いまでする激務か、そのような極端なイメージしかなかったので。

もちろん、これは家庭内のものだから、もっと大規模な、通常社会で行われているマネジメントとは異なる部分も多い。 しかし、私はこの経験によって「なんで私が」――について、はじめて向き合うことができたような気がする。

私の仕事、私のものではない仕事。

私はいつか責任を手放したいのか

子供は責任を渡され、そのことで誇りが育まれているように見える。当然だ。私だって子供の頃は、はやく大人のようにいろいろやりたいと思っていた。いつの間にか忘れていたけど。

子供に責任を渡す。

そして、最終責任を大人が持つ。

私の仕事、そして私のものではない仕事。

最終責任までをすべて渡す日が親離れなのかと思いながら、あんなに嫌っていたはずの責任を、今はまだ抱えていたいのだ。

@ataoka
XとBlueskyにいます。漫画が不調になると小説を書いたり、料理をしたり、いい感じにるまでフラフラしています。