
私は自分の行動について「愛がないからだ」って言われるのがめっちゃ嫌いだということに気づいてしまった。
「マイナージャンルで本が売れなかったり閲覧数が上がらないのを我慢できないのは愛がないからだ」みたいな。
あと「あの原作でBL二次創作するなんて作品への愛がない」とか。
先日SNSで「他人の二次創作を愛の有無でジャッジするやつめっちゃ嫌い」と書いたら、それへの反応で「愛以外の何を判断基準にするんだ」というような意見があった。
確かに、世にあふれる二次創作の中には「この人、原作めっちゃ好きで一所懸命作ったのかなあ」と思わされるようなものがたくさんある。
でもそれって私が勝手に感じているものだよな、とも思うんである。
だって実際わかんないじゃないですか、すっごい素敵な二次創作があったとして、それを作った人が本当に原作を愛しているのかどうかって。もっと言えば「愛している」ってどういう状態よ?とも思う。
商業作品のファンダムが批判・批評を非常に強く忌避する傾向は、最近とみに強くなっていると感じる。この状態を「愛がある」と言っていいのだろうか。
出されたすべてを「素晴らしい!」と全肯定し、「いや、あれはおかしくない?」とか「あの部分の出来はよくないと思う」みたいな意見を言う他者の口をふさいで回る行為は、愛の一言で片づけたり称賛したりしていいものなんだろうか。
こういう人たちの二次創作は、どんなものであっても「作品への愛にあふれている」ものになるんだろうか。
私が「これは愛があるからいい」「こっちは愛がないからだめ」と他人の二次創作を断じる態度に強い嫌悪を感じるのは、愛の定義が曖昧で、しかも往々にしてその愛の有無が単なる受け手の好みでしかなかったりするからだ。
とはいえ、愛だよね、と言いたくなる気持ちはわかる。わかるんだよな。作った人の情熱でジュッと焼かれたくて二次創作を読んでる人間なので、気持ちよく焼かれるとやっぱりそこに愛を感じてしまうのだ。